七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

2018年秋、カミングアウト

実家の家族にカミングアウトしました

今年の秋、親に自分が同性と長年つきあっていることをカミングアウトしました。
母親のほうが、なかなかの全否定ぶりで、嫌なことはすぐに吐き出して忘れるタイプのわたしも流石に消化できなくてここまでブログにもできませんでした。未だに実家との距離の取り方は探り探りですし、時々思い出してはしんどい思いをしていますが、少し落ち着いてきたので、年末最後に出来事と気持ちをまとめておきたいと思います。

 

引っ越したら言おうと思っていた

キツネさんとは、つきあい始めて昨年で十周年を迎えたので、そろそろカミングアウトしようかなということはその頃から考えていました。するなら引っ越しのタイミングで、と思っていました。うちの母親、前にもいろいろブログで書きましたがけっこう感情的なタイプなので…。最悪の場合、包丁を持ち出されたり家に来てキツネさんに害を及ぼしたりしかねない、と思っていたので引っ越し後に住所を教えていない状態でカミングアウトするつもりでした。家を買ってしまったのでもうしばらく引越しの機会もないだろうということで、引っ越し後しばらくしてから言うことにしました。

 

カミングアウトは手紙で。

カミングアウトをすることにした日、絶対泣いてしゃべれなくなるだろうと思っていたので、手紙に自分の気持ちを書いていきました。
ここまで育ててくれたことの感謝、自分が同性パートナーと暮らしていること、これからもそうしていきたいと思っていること……そんなことを書いて。たしか五枚くらいのとても長い手紙になったと思います。
さすがにわたしがバイセクシャルで男性でも好きになれる、ということまでは書きませんでした。そういうこと書くと多分、期待させてしまうので。まあ実際は女の子としか付き合ったことないのでほぼビアンみたいなもんですし、これからもキツネさんと別れる気は全くないので間違ってはいない。
手紙に書いたものの、ぜんぜん言い出せなくて、夜、みんなが寝る直前のカミングアウトになってしまいました。
「ちょっと話があるんだけど」と切り出した途端、父が「なんだ、結婚でもするのか」と言ってきて、このやろう~~~と思ったりもしました。あのとぼけたところが父のいいところなんですけどね。手紙を取り出した段階でもう泣きそうでした。

 

家族の反応

両親と、弟のお嫁さんがいる場でのカミングアウトになりました。
手紙を読みはじめてわたしが同性を好きになる人だということを伝えてすぐ、涙で口ごもってしまったとき、父はすぐに「好きにしたらいい、お前の人生なんだから」と言いました。父はそわそわして、はやく寝室に戻りたそうでした。そして実際にすぐに寝室に行ってしまいました。逃げた、と思いました。
いいひとなんですよ。とても。表面的には、ですが。世間的なものごとの動きもよく見ているひとで、私みたいなありかたを否定してはいけないっていうことをよく知っていたんだと思います。
でも、めんどうなことからは目をそらすタイプ。泣いている私や、これから荒れるであろう母を置いて寝室に引きこもれるんですから。これまでずっとそうだった。でも、たぶんこれから続いていく日常の中で母の感情を受け止めてくれるひとは彼だけなので、聞いてくれて、否定しなかっただけでもありがたい、と思いました。
弟のお嫁さんは、手紙を読みおわるとすぐに隣に来てくれて、一緒に泣きながら、ずっとそばにいてくれました。言ってくれてありがとう、と言って。知り合いに、LGBTの人がいるんだそうです。ほんとうに優しい子で、彼女がいてくれたから救われました。あとから弟にも彼女から伝えてもらったのですが、弟からも、俺はずっと姉ちゃんの味方だというLINEが来ました。本当にうれしかった。
母は、カミングアウトが終わっても、うつむいてじっと黙っていました。わたしから、話題をふるまで。

 

母から言われたこと

「お母さんはどう思う?」と聞いたところ、母は「そうなんじゃないかと思ってた」と静かに言いました。何年か前からそうなんじゃないかと思って、お友達と「スイちゃん、ここまで彼氏できないってことは、なんかあるよね」って話していたようです。
わたしも、多分気付いているんだろうなとは思っていました。前に「男が好きじゃないの?」と聞かれて「だったらどうするの?」と聞き返したら「気持ち悪ーい!病院行った方がいいよ!」と冗談めかして言われたことがあったので。
カミングアウトの一番楽観的なシナリオは、彼女が、わたしの性的指向に気付いていて、その上で何年かの間に消化できていて「知ってたよ、今更驚かない」と言ってくれて、多少の偏見はありながらもこれまでの関係性を続けられるということでした。
でも、そうはなりませんでした。
話を聞いていくにつれて、こんなことを言われました。

 

「一生懸命、いいところを伸ばすように育ててきたのに、なんで普通に育たなかったんだろう」
「相続権は放棄してほしい」
「言った方はスッキリするだろうけど自分勝手だ」
「その人(キツネさん)のことは認めないし会いたくない」
「今は役所に自分たちを認めてもらうみたいな制度もあるみたいだけど絶対に使ってほしくない。だって役所の人にはあなたたちの関係がわかっちゃうでしょ」

 

まあ、始終そんな感じ。わたしのことを普通じゃない、恥ずかしいと思ってることがばしばし伝わってきました。それでグチグチと、過去に自分がいかに苦労しながらあなたを育ててきたのか、ということを言い聞かされました。最終的には自分の苦労話になっていました。それで「ここまで不自由なく育ててくれたことには本当に感謝してる」と真摯に伝えようとしても「ごめん、今はそれ、言葉の上で言ってるだけにしか聞こえない」と拒絶されて。しかも、容姿とか性格とかこれまで選んできた職業のこととかもいろいろ言われて。

そのときに書いたツイート↓

「男性と付き合う努力はしてみたの?」と聞かれて逐一否定したり、「あーあ、○○ちゃんとあなたの結婚式になに着てくか相談してたんだけどなー」と嫌味を言われたりもしました。それで、我慢ならなくなって「え、これ私いつまで聞いてたらいいの?」と言うと「え、駄目?言わせてよ」とそんなときばかりかわいこぶる母。なんなんだ。後からこういう話をしたらキツネさんが「子供はサンドバックじゃないんだからさ」と怒ってくれました。その日はサンドバックになることは覚悟してたし、今私がどんなふうに反論しても聞こえないだろうと思っていたからじっと聞きましたが、やっぱりつらかったな…。
LGBTの家族が集うような場所のパンフレットも用意していきましたが受け取りすらしませんでした。「わたしはあなたがそうだって、誰にも言いたくない」と。せいいっぱいの気遣いのつもりだったんですけどね。悩んでいてもそれを誰にも言わないって、苦しいから。今すぐには無理でも、必要になったときに使ってもらえるように、そのパンフレットはそっと置いてきました。(大学生の時に一度だけ参加した集まりの時にもらったものを大切にこのときまでとっておいたのです。あとから、結構パンフレット変わってるから、と更新版を知り合いからいただいて苦笑しました。そりゃあそうだよね、七年も経ってたら。)

 

理解したい、関わり続けたい、でもつらい

親も、混乱していたと思うんですよ。以前からなんとなく気付いていたとはいえ、はっきり言われるのとは違うんだと思います。だから、いつかわかってくれるかもしれないと、関わり続けるしかないんだ、と思いました。
でも、カミングアウトしたあとに帰宅して、数日後に母からメールがきて。
「自分は話してスッキリしたかもしれないけど自己満足にしか思えない。あなたのお友達にも会いたくない。お友達にもうちの家族のことは口止めしてください」って。どこかで誰かに、わたしたちのことが伝わってしまうことを過剰に恐れていて。まるで母はわたしのことを敵や害悪だと思っていて、自分はそれから自分の家族を守ってるんだ、というような感じでした。ああ、おかしい。
「わかったよ、無理にあってほしいとは思ってない」と伝えつつ、「お友達、ではなく、パートナーです」と訂正してみたりもしたけど全く通じなかった。自己満足と言われたことについては「わたしだって言うべきかどうか10年悩んできたし死にたいと思ったこともあった」と伝えました。でもそれに対する返事も「それもあなたの勝手でしょ。わたしたちは、あなたは一生独身だと思うことにするから」というものでした。
笑っちゃうほどの完全拒絶。しかも自分の拒絶に「わたしたち」と言うことで勝手に父を巻き込んでる。それに対して「わたしたち、ってそれ父と話したの?」と指摘したら黙りました(笑)
それからというもの、用事があってLINEすることがあっても、全部丁寧語なのも笑えます。今までは絵文字とかいっぱい使って文章書いてきた母が「わかりました」だけのお返事とか。めっちゃ笑える。
関わり続けたらなにかが変わるかも、とも思うし、時間をかけて理解してくれれば…とも思う。そして、傷ついていて私のことを理解できない母のことも理解したいと思う。話を聞いてあげたいと思う。でも、それによって私が傷つけられ続けるのは、やっぱり少し嫌だなと思ったりもして。ぐっちゃぐちゃな気持ちです。

 

愛って何だろう

愛って、なんなんでしょうね。
私の母の愛は、条件付きの愛です。「相続権は放棄してほしい」って、つまりそういうことですよね。「私の理想を体現するような娘でないならばあなたは私の娘ではない」ってこと。「いい子にしてなきゃお菓子をあげないよ」ってこと。

今回カミングアウトして、そのことを嫌になるくらい実感してしまいました。ああ結局母は本当の私じゃなくて「理想の私」を見ていたんだなって。理想の娘を演じすぎた。大学生くらいから、それをやめてきたつもりだったんですけど、まだ足りなかったみたい。

かなしい。つらい。
カミングアウトして「あなたはあなた」って言ってもらえる人たちも大勢いるのに、なんでうちの母はそうじゃないんだろう。わたしは母に「あなたは親の気持ちなんてわからない」と言われて、でもずっとわかろうとしてきたのに。
母がいろんな親族間のトラブルや仕事でのトラブルに巻き込まれて苦しそうなとき、わたしはいつも話を聞いて、寄り添おうとしてきたのに。父や親族に母にかわって立ち向かったこともあったのに。なぜあなたはわたしのことをわかろうとしてくれないんですか、お母さん。昔はそうじゃなかったはずなのに。くるくるの天然パーマの子供のころのわたしを、そのままで愛してくれていたはずなのに。どうしてこうなっちゃったんだろう。

わたしのことを母は冷たい女だと言ったことがあったけれど、わたしは逆だと思う。カミングアウトしたあと、その場でもその後のメールでも、全部全部、母から出てきた言葉は自分を守る言葉、自分をかわいそうだと訴える言葉、そんなものばっかりで。「死にたいと思ったこともあった」ってうちあけたときに、「そんなことされたら私一生悩んじゃうな」って言ってきたときは本当にびっくりした。どんな風に考えて、追い詰められて、そう思ったのか聞いてほしかった。驚いてほしかった。そんな風に悩んでたなんて知らなかった、って言ってほしかった。だって、わたしが自分の性的指向に悩んで死にたいと思ってた時って、もう結婚できないし親の理想に添えないっていうことを考えて思い詰めすぎていたときだった。
なのに、母は、自分のことばっかり。ぜんぶ、自分の悩みや苦しみのことばっかり。しかも、わたしのことを全否定するくせに、「普通に帰ってくればいい」と言うのも、よくわからない。否定はするけど寂しいってこと?そんなの、都合がよすぎる。実家にはかわいがっている猫がいるのですが、その子には会いに来てほしい、悪いけどあなたにはその子に対する気持ちがどの程度あるのか感じられない、と言われたんですよね。そうまで言われたら帰らないわけにもいかないのがつらい。

 

これからの実家との関わり方

今回言われたいろんな酷い言葉が、売り言葉に買い言葉的な、その場で混乱の中で出てきてしまった言葉だと思いたい気持ちもありますし、実際にそう思う日もあります。でも、もうそういう人なんだって諦めて距離をおく方が楽かもしれないという気持ちもあります。なにも両親のことを考えずに楽しく過ごせる日もありますが、憎しみに近い気持ちがわくこともあります。悲しくなる日もあります。
親に対して、早く死んでほしいなんて罰当たりなことを、真面目に思う日が来ると思わなかった。そんな自分を責める日もあります。もし両親が老いて介護状態にでもなったら、お金の支援はたくさんしたいけれど、あまり自分で世話をしようとは思いません。
理解してくれる弟夫婦とは仲良くしていたいし甥っ子が困ったりしたら支援もしたい。でも、「いずれお世話になるんだから弟とは仲良くしておけ」という母の言葉を思い出してすごく嫌な気持ちになって、すべて縁を切ってどこか知らない土地で暮らしたいと思ったりもします。
この前カミングアウト後数ヶ月後に実家に帰りましたが、その時はすこしぎくしゃくしたものの、わたしのことは話題に出さず、「仮面家族」として過ごしました。これでいいのかもしれません。わたしが両親より早く死ななければ、なにごとも起こらないはず。年末年始の休暇はこれまでほとんど一週間を実家で過ごしていましたが、今年はキツネさんと大晦日まで過ごすことにして、こうして日記を書いています。心は少し平和です。人質ならぬ猫質を取られている間は定期的に実家にも帰りますが、頻度も帰る日数も減らして自分の心を守っていこうと思っています。これも自分勝手なのかもしれませんが…。もうよくわかんないや。放棄。どうせ縁は切れないのだから適当にやっていくことにしようと思います。

 

友達とフォロワーさんの優しさ

カミングアウトをしてよかったと思ったこともあります。理解してくれる人もいっぱいいると知ったことです。弟夫婦のもそうですし、キツネさんも、何人もの友人も、話を聞いて慰めてくれて、「もう私たちがいるんだからいいじゃん。親が理解してくれなくてもさ」と言ってくれました。何人もの、趣味で繋がっているフォロワーさんが長文のDMをくださって、こんなわたしのことを尊敬している、好きだと言ってくれて、励ましてくれました。あまり喋ったことのないフォロワーさんも、心配してリプをくれました。あたたかすぎて、いちいち泣きました。
だから、母に対してどろどろした気持ちを持っていても、なんとか生きていけます。生んでくれて育ててくれた恩はもちろんあるけれど、だからって、母のために苦しみ過ぎなくてもいいんだ、と思えます。わたしも母も、親と子という関係性ではありますが、一人一人の個人なんだということや、わたしの幸せになる権利のことを思い出させてくれます。本当にありがとうございました。
きっと、時間が経てばわたしの心も母の心も、互いの関係性も変わっていくだろうと思います。しばらくは思い出してつらくなったりもすると思いますが、あんまり考えないようになりたいです。

とりあえず、2018年の年末思っていることは、こんな感じ。このぐっちゃぐちゃな心の内を読んでくださって、ありがとうございました。わたしはわたしらしく、来年も生きていきます。絶対に幸せになってやる。キツネさんとわたしの二人きりでも、絶対に、幸せになる。

 

きのう何食べた?(14) (モーニング KC)

きのう何食べた?(14) (モーニング KC)

 

(いつか、きのう何食べた?のしろさんの実家のように、受け入れられるなんてこともあるんだろうか…)