七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

ブログ移転します

このブログもだいぶ長くなってきたのですが、もう舞台趣味もほとんど手放し、わたしもついに35歳になりました。

 

これを機に、ブログを変えようと思いたち、新たなブログ作りました。

 

ぜひこちらでもよろしくお願いします!

ハロプロとLGBTQsの話などをしていくよ!

2021年振り返りと、2022年やりたいこと

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 

せっかく年始なので、2021年を振り返り、来年の抱負を書いてみたいと思う。

 

推し活

2021年は2020年に比べると外に出たりイベントに行ったりしたけれど、それでもまだまだ少なかった。

いつ見たか忘れちゃったけど、夏頃に花鳥風月の配信も見たな。

 

空白の上半期は某ゲームにはまり、二次元の推しができたので同人活動に精を出していた。同人誌なんて作ったことなかった人間が2021年の1年間で7冊同人誌出しているのだから熱というものはすごい。だいたい1冊2万5千字から3万字×7冊だから、17万字から20万字くらい書いたことになる。頑張ったなあ。

 

ごはんが楽しかった一年

2020年で随分、外出の自粛生活にも慣れた。前半はテイクアウト、コロナが落ち着いてきてからは家の近くの感染対策をちゃんとしているお店を開拓するのが楽しかった。秋頃から食費がだいぶやばいことになっている。

テイクアウトの美味しい居酒屋、タピオカ屋、うなぎ屋、そば屋、クラフトビール屋、ウィスキーをたくさん置いている店、フレンチ、純喫茶、キムチの美味しいお店……こんなにたくさん近所にいいお店があるとは思わなかった。

コロナがなかった頃はちょっと電車で数駅行って、ご飯を食べていたのだけれど、あまり遠くにまで外出しなくなって、近所の美味しいお店に出会えたのは本当によかったと思う。

 

おうち大好き

でもこの1年ですごく思うのは、私本当にインドア派なんだなあということ。ちらほらとオフィス回帰の風潮が聞こえ始め、外に出られない、人と会えないことでストレスを感じ、メンタル不調に陥ってしまう人すらいると聞くのに、私は全く病みそうにないしずっと在宅勤務でいいと思っている。もうオフィスに戻るの無理です。

家には大好きなパートナーがいて、猫ちゃん2匹がいて、楽しめるコンテンツもいっぱいあるので、もうそれだけでいいですという気持ち。その「最低限」にちっとも飽きない。

私はまあまあ社交的なので、今年も新しい友人や知人ができたりはした。リアルに会うコミュニケーションとオンラインコミュニケーションが違うのはわかるし、たまには会いたい。でも本当にたまにでいいんだよな……。

推しているアイドルちゃんたちのグループの単独ツアーがこの2年ないし、コールできないし歓声も上げられないのはすごく困っていて、再開されたらそれはぜったい行きたい。でも、基本的におうちとその周辺で生きられたら幸せみたいです。

 

面白かったコンテンツ

ちなみに、2021年に観賞してよかったコンテンツはこんな感じです。

dramanavi.net

dramanavi.net

気づけばバディものばっかり見ているけれどもグッドオーメンズとシャーロックはすごく好きだった!

シャーロックは、主人公二人が結構ゲイカップルに間違えられて優しい眼差しを向けられるけど、変な感じではなく穏やかに「そうじゃない」と伝えるところや、アイリーン・アドラーちゃんがめちゃめちゃ女と関係を持っているところが好感が持てます。

 

本はいろいろ読んだけれど、結構はずれなく楽しく読書できた印象。特に印象に残っているのはこの4冊。

 

 

 

 

 

セクシュアルマイノリティの一人としてはつらい年だった

2021年はしんどい年だったとLGBTs当事者で思っている方は少なくないと思う。LGBT法案が、あんなに譲歩した内容ですら通らなかった。私はこの一年、地元でパートナーシップ制度を入れてほしいという活動をしてきたけれど、すんなりとはいかなかった。SNS上でのトランスバッシングも酷かった。オリンピックではLGBT的なイメージが「多様性に配慮していることへのアピール」のためだけにいいように使われたように感じた。LGBTsであることをカミングアウトしている選手が世界全体では過去最多になったにも関わらず、日本選手団には1人もいなかったのは、いかに日本社会がLGBTsがカミングアウトしにくい社会なのかを象徴しているようにも思えた。

 

唯一の良い兆しとしては札幌地裁が同性婚を認めないのは違憲という判決を出したこと。同性婚訴訟に関わっている方々には本当に頭が下がる。このままいい結果につながってほしい。でも、こんな状況では、裁判所が次々に違憲判決を出したとしても政治が動かないのではと疑心暗鬼にどうしてもなってしまう。

www.bbc.com

こんな中で、わたしたちは「生きているだけで偉い」し、「声を上げ続けているだけで偉い」と思う。あきらめず、絶望しきってしまわず、時々休んだり耳を塞いだりしてもいいから、声を上げ続けていきたい。

 

2022年にやりたいこと

さて、というわけで2022年にやりたいこと。

  • 今年こそウエディング写真を撮る
  • 地元でパートナーシップ制度ができたら利用する
  • フランス語の勉強を継続して、日常会話くらいはわかるようになる
  • 運動不足になりがちなので筋トレと散歩を継続する
  • 今年も文章をいっぱい書いて向上する
  • 読書と海外ドラマ鑑賞を増やしたい
  • お金をためる・ふやすために頑張ってみる

こんな感じかしら。

最近ワークライフバランスはわりといい感じで、「仕事」を人生の一部でしかないと感じるようになった。でも、だからこそ、「仕事」はお金を稼いで人生を豊かにするために頑張りたいと思うようになった。昨年までは意図的に仕事をがんばりすぎないようにしてきたけれど、ちょっと元気も出てきたので、新たなチャレンジもしていきたいと思っている。

やりたいことに全力で向かっていける一年にしたいな!

 

だーまーは最高で最強

#ひよこが10年経ったら イベント行ってきました。2部の方です。衣装もセトリも話された内容も全部最高だった。ネタバレしますので配信なんも予備知識なく見たい方はお気をつけください。

 

 

最強×最強のライブコーナー

スキル極まってるけど別方向の二人だからこそできる力強いステージ。もう冒頭から泣きそうになりました。カッコ良い系の曲×2だったのでもう私得すぎて五体投地。(セトリとかはTwitterとかで検索してください)

なんだか全部がしっくりくる二人だなあって思いました。ダンスバッキバキで一個一個の動きがはっきりくっきりしてるあゆみちゃんと、ゆるっとした動きと気持ちいい音ハメの混じり合ったセンスの塊まーちゃん。歌もあゆみちゃんの硬めでかっこいい声としなやかで自由自在のまーちゃんの声。最高で最強の組み合わせ。

いやしかしほんと、すごい……。モーニング娘。全体のコンサートも一人だけをじっくり見られるバースデーイベントもどっちも良さがあるけどめちゃめちゃスキルある人たちが組むとこんな爆発力あるんかという……どこを見てても楽しいしかっこいいし最高なんですよ。

最初、曲がかかった瞬間からちょっと泣いてたけど、最後、二人が背中合わせになってカッコよく決めて、そうだよ私はこういうだーまーが好きなんだよ……と思った瞬間インスピレーションの時の私のなんにもわかっちゃないであゆみちゃんの肩を抱くまーちゃんとか様々な過去のかっこよすぎる二人のコンサートでの様子が走馬灯のように頭の中を駆け巡って、その後に暗転する中で姿勢が崩れて二人が頭くっつけてちょっとふざけながら笑ってるじゃれあう子猫みたいなところを見てたら、またちょっと泣けてしまった。

 

 

二人のおしゃべりはとにかく元気になる

わいわいする企画コーナーではもう始終いい笑顔になってしまいました。もーさ、二人がワイキャイしているだけで可愛くて嬉しくて。しかもちょいちょいお互いをリスペクトしあっていることや10期が2人きりになってしまってから距離を詰めてきたこととかを豊富なエピソードで伝えてくれるんですよ。

尊い。ただその一言に集約される。尊い。

披露されたエピソードの中では、あゆみちゃんが、まーちゃんはなんでもできるし本能で動くタイプだと思ってたけど、コンサートの時に誰もいない部屋をわざわざ探してコソ練して魅せ方をすごく考えてるまーちゃんを目撃して、刺激を受けたって言ってたのが印象的だった。

企画が一文字ドン(イントロクイズの歌一文字バージョン)や音なしでダンスするやつで、つんく曲への思い入れやダンスなどおたくのツボをよくわかってるなーという企画でした。大感謝。どっちも面白かった。一文字ドンは二人で足開いて仁王立ちして考えてる姿がまずすごい面白かったし、きゃいきゃいしながらこれじゃない?いや違う、って考えてるのも可愛かった。ダンスのやつは、あゆみちゃんがほぼ完璧で(いやでも最初の方あれ?ってなってた気もするけど)曲に戻る時若干遅れたところを気にしてたことと、まーちゃんがたびたびダンスわかんなくなっちゃっててフワフワしてたとこが対照的ですごくかわいかったです。

嘘発見機のやつは、二人が「お互いのことをリスペクトしている」「はい」でビリビリってならなくて、いえーい!でも恥ずい!ってしてたのをまた猫の子を見るような目で見てしまいました。可愛かった。それまではこれこの機械がダメなんだよ!みたいなことずっと言ってたのにその瞬間にまーちゃんが「やっぱりすごいこの機械!あたった!」みたいな感じではしゃいでたのが尊かった。そのあとお互いを好きかどうかでやらされてる上々軍団さんが可愛かったです。安心安定の啓太さん好きです。

 

だーまーの素晴らしさ

もうさ、なんていい関係なんだろうか。

同期で、二人とも同じクラスにいても絶対友達にならないって言うのに、それでも同じグループにいて切磋琢磨して。自由でうるさいまーちゃんをあゆみちゃんが怒ったりしつつもちゃんとお互いリスペクトしあってて。はるなんとどぅーが卒業して、二人きりの時間ができたことが本当によかったなと感じる。

惜しむらくはコロナでだーまーの二人で回るツアーが一つしか見られなかったこと。そこから二年、ずっとバラバラで活動することになるなんて二人も思っていなかったと思う。関係性の進化した二人のいるステージを、まだまだ見ていたかったよ、まーちゃん。でも、決めたことだし、体が一番大事だから、仕方ない。

あゆみちゃんが話してくれたエピソードの中に、コンサートしててあゆみちゃんがしんどくなっちゃった時に気持ちを話せる人が周りにいなくて、まーちゃんに電話したっていう話があった。今までだったら考えられなかったことだから、その電話の後、まーちゃんは母に自慢したらしい。まーちゃんとしてもあゆみちゃんに頼られたのが嬉しかったんだねきっと。これまでだったらツアー一緒に回って、話せる機会もいっぱいあったと思うけど、今はずっとバラバラで活動しているからさ、だからこそ生まれたエピソードだと思うんだけど。ずーっと、こんな感じの関係でいてくれたらと願ってしまう。これからは「一人だけど四人」だからって二人が言ってたし、まーちゃんは10期がずっとちょうど良い距離にいてくれるって言ってたけど、ほんとにずっと、そんなふうにいてほしい。多分きっと卒業しても10期ちゃんたちはみんな芸能活動を続けそうだし。

そんな10期の絆のあり方に、夢を見てしまって、おたくは勝手に救われたりしてしまうのだ。

 

 

まーちゃんのメッセージ

二人のステージが終わって一度はけたあと、アンコールのような形でまーちゃん作の曲が。

やっぱり歌上手い。すごく伝える力のある子だよなと改めて思う。愛についての歌、私は大丈夫、って感じの歌詞の曲だった。伝えたいことをうまく言葉で伝えられないと最近よくブログで言っているまーちゃんの心が重なっているような歌詞だった。

そして、歌い終わったあとにまーちゃんからのメッセージが画面から流れた。ソロになって、まだどうなるかわからないから、いったん自分のことは忘れてモーニングのファンでいてね(あゆみも心配だし)って内容。まーちゃんの優しさがとても伝わってきて泣いてしまった。そんなふうに思わなくていいのになぁ。どんなまーちゃんでもついていく人はついていくよ。おたくのすすり泣きで会場が満たされた時間だった。声で伝えるんじゃなくて歌と文字で伝えるのがなんだかまーちゃんらしかった。多分話そうとするとうまく言えなくなっちゃうって思ったんじゃないかなぁ。

まーちゃんの行く末に幸あれ。新たな人生を始めるような気持ち的なことをまーちゃんは言ってたけど、その新しい人生がどんな道になるのか、とても楽しみです。

 

以上!書き殴り感想でした。

気持ちの傷ってなかなかなくならない。

落ち着くために書いている。

 

診断をうけたわけじゃないので、医療用語としてのトラウマじゃなくて、一般的によく聞くところのトラウマ的なもの。ほんとにあるんだあって思わされる出来事があった。

 

昔からブログ読んでくださっている方はよくご存知だと思いますが、私の職業人生はなかなか波乱万丈で、今はやっと落ち着いたけれど、経験してきた会社は決して良い会社ばかりではなかった。

2社目に経験した会社ではパワハラに近いような扱いを受けていて、辞めてからもその会社の近くを通ると動悸がひどくなったり「あの会社の人に会いませんように」という願いで頭がいっぱいになったりしていた。

↓その会社を辞めた時のブログ

その会社の社長とも役員とも仲良しなはずの業務委託で手伝っていた人がいるんだけど、その人と今度会わなくてはいけないらしい。今の会社ともつながりがあったみたい。

 

という情報を知った途端、直接パワハラしてきた人じゃないのに、名前を聞いただけで胃がぎゅううって絞られるみたいになって、同期息切れがして、震えがきた。頭の中が「こわい」って言葉でいっぱいになった。

 

もう5年前なんだけどなあ。まだ駄目なんだな。

 

その会社に入った人はみんな「自分がいかにできていないことが多いか気づいた」って言う。それは、高すぎる水準をもとに、できていないところをつきつけられて、時には怒鳴られたりするような環境だったから。自分のダメさ加減に、毎日毎日毎日毎日、強制的に向き合わされる。本当にしんどかった。それでずいぶん仕事スキル的には成長したけれど、気持ちの方がダメになってしまった。

 

その頃の「自分は駄目なんだ」って認識は、その後転職先でたくさん実績を積んで随分克服してきたと思っていたんだけど、一瞬昔に引き戻されてしまった。のちに聞いたことだけど先輩だった人がその会社で年収一千万を超えたらしい。私はそうなれないくらい駄目な人間だったしパワハラとか言ってるけど結論私が仕事できなかっただけじゃないかって思ったりもした。数時間経って冷静になった今やっと、それはない、異常な環境だった、って思い直したけど。

 

あーやだ。こんなふうに脳に刻み込まれていくんだ、洗脳って。ほんとこわい。

 

もしも過去の私のように、つらい思いをしている人がいたら、とりあえず逃げて。傷は浅ければ浅いほどいい。そういう環境の渦中にいると、パワハラかどうかわからない、自分が悪いだけかもって思ってしまうと思う。でも、「そう思わされている」だけかも。

 

こんなふうに何年も引きずることになるし、場合によってはメンタル不調のリスクもあります。ほんとに、みんな、無理しないで長く細く働こうね。

 

趣味と共に生きていく

少し前に、人生のターニングポイントになるかもしれない分かれ道の前に立たされた。そして、ある選択肢に対して、「この道には進まない」ということを決めた。

 

決め手になったことの一つが、「趣味」だった。
その道を選んだ場合、少なくとも一時的に、「趣味」の時間を手放すか、せめて縮小しなければならないということがわかっていた。

 

軟弱だと、享楽的だと笑ってください。

私は思いっきり、誰の目も気にせず、時間をたっぷり使って、プライベートの時間を楽しみたいのだ、と思ってしまった。おたくコンテンツに盛り上がりたいし、アイドルに熱狂したいし、小説を読みたい。だらだらとTwitterを眺めておたくTLを追っていたい。何にも縛られずに好き勝手なことを書いたりもしたい。その時間が、今より減るかもと思ったら、もう無理だった。

おたくをするにはある程度お金が必要なのは確かにそうなのだけど、その目的のためにしばらく禁欲的に働く、みたいなことが、もう絶対に、できない。

まあ、その道を諦めたのはそれだけが理由じゃないんですけどね。複合的に、いくつかの理由はあったわけなんだけど。お金よりも、名誉よりも、趣味が自分にとって大事なのだとは思わなくて、ちょっと力が抜けて笑ってしまった。

 

思えば、趣味はずっと私のそばにあった。
どれだけ親に、友達とコミュニケーションを取りなさいと怒られても、小説を読むことだけはやめなかった。
パートナーとの出会いも趣味がきっかけだったし、今も会話のほとんどは共通の趣味の話だ。
仕事も楽しいし、それ自体にも意義を感じているけれど。
そこで稼いだお金のほとんどは趣味に投じているし、趣味に使うお金が欲しいからスキルアップしたいと思ったり副業を始めたりしている。

もはや、趣味に生かされているといっても過言ではない。

 

人によっては、趣味ってなくても別に生きていけるじゃん、お金と時間の無駄じゃんって思う人がいるっていうことも知っている。でも、私にとってはそうじゃないのだ。

 

高校生の頃、議論好きの友人と「生きる意味とは」みたいな厨二病会話をしていた頃があった。その頃私は、いろいろ考えた結果、「死ねないから生きているだけ」と言った気がする。今も実はその実感はあまり変わっていなくて、特に生きる意味的なものは見いだせていない。
ただ、表現は少しだけ変わってきていて、「死ぬまでは生きる」のほうが近いなと思っている。つまり、その時が来るまでは、生ききってやろう、という気持ち。「人生は死ぬまでの暇つぶし」と言い換えてもいい。

 

どうせ暇つぶしなら、楽しいと思うこと、いっぱいしたいじゃん。
もう、未来のために我慢する、みたいなこと、二十代のうちにいっぱいやったから、いいやって思ったりもして。
こういうことやってると大成功はしないかもしれないし、努力を重ねた方が生涯賃金は上がるだろうとも思うんだけど。
それでも私は、趣味と共に生きようと思う。

 

(お賃金上げるための取り組みは大事なので、一発大逆転的なのじゃなくて、引き続きちまちまと地道にやっていきますけどね! でももう、無理はしない!)

爪を剥がしてしまいました(一部)

本当は他に書きたいことがいろいろあったのです。ハロコン風公演を見なくて後悔していることとか、研修生発表会のこととか、LGBT理解増進法のこととか、誕生日ブログとか。もろもろ。でも、全部吹っ飛ぶほどのショックを受けています。

 

さっきお風呂で爪を剥がしてしまった。

 

なんか……なんでそんなことになったかわからないのだけど……剃刀を使っている最中に、剃刀を爪にぶつけて抉り取ってしまったという……。恐怖。痛いし。今も中指使わずにタイピングしています。なぜこんなことに……。調べてみたら、つめが剥がれてしまった場合、完全再生するまでに半年かかるのだとか。ずっとこの、細長い三角形に爪が割れて剥がれてしまった手とすごさなければならないと思うとつらい。

 

これに限らず、何かと手元が危うい女なのだ、私は。
すぐにつるりんと手がすべる。
この前はコーヒーメーカーに付属していたコーヒーサーバー部分を割って、その部分だけ買い換えた。
パートナーが買って気に入っていたお皿も割った。
大体半年に一回から二回はなにかやらかしている。

 

手元の危うくない女になりたい。
でもこればっかりはそれこそうまれつきの不注意体質のような気もするので、そんな自分を受け入れつつ、ものを割ったり落としたり手元が狂ったりする頻度を減らせるように努力するしかない。

 

そもそも。
私が全身つるつるだったら、お風呂で剃刀を使う必要などないのである。
根本的な解決をしたいと思うのならば全身脱毛すればいいのだ。高いけど。
コップはなるべくプラスチックのものを使えばいいのだ。
可愛いの見つけるの大変だし陶器やガラスの口当たりの良さはないかもしれないけど。
ひとつひとつの失敗にもひとつひとつの嘆きにも意味はない。
解決する方法を考えよう。(と、自分に言い聞かせる。)

 

それに、多分私は手元が危ういという欠点はあるがそれを補って余りある長所があるはずなのだ。たとえば慎重ではないが大胆に意思決定ができる。その結果人生が思いもよらない方向に進むことも少なくない。ほかに……ほかに……あー、なんだろう。はあ。普通に悲しくなってきたのでやめます。

 

みなさんもお風呂のなかで使う剃刀にはお気をつけください……。まじ全身脱毛したいよ……。

どんなに酷いことを言われても、日常は続いていってしまう

ひどいひどいとは思っていたけれど、思った以上に酷くて逆に現実味がない。笑いそうにすらなる。でもこれが、現実なんだ。本当に嫌になる。

 

www.asahi.com

 

元々、LGBT理解増進法という、LGBTの権利を保護する法律に見せかけて実のところは中身がなく、研修の内容一つにも介入すると取れるような記載のある法律を提言していた自民党。そこに野党やLGBT当事者から反対の声があがり、「差別禁止」の言葉が入れられることになった。

 

ここまではよかった。最初の「理解増進」の自民党案で進むよりはずっと。しかし「差別禁止」の文言を入れるというただそれだけのことに対して反発があり、法案の了承が見送られたというクソッタレな顛末がつく。「差別をやめましょう」なんて誰もが合意できるあたりまえのことだと思っていた。これに反発するってことはよっぽど「差別」がしたいのですね、と私は理解した。もしくは、自分に理解が足りていないことに自覚的だから、無意識のうちに差別してしまった場合に罰せられるのが怖いのか。どっちにしても「差別してしまう自分」を守りたいだけだからクソッタレである。

 

これを自民党、与党で最大多数を占める政党の複数の議員が言っている。しかももっとヤバイ、「LGBTは生物学上種の保存に反する」などという発言や「道徳上許されない」というコメントもあったらしい。しかもそれを発言している人は「LGBTを差別するつもりはない」と言っている。いやその発言が差別なんですけど、と思うがそれを全く自覚していないところでさらに絶望が深まる。

www.nikkei.com

 

これはもう多くの人が言っているので私がわざわざ言う必要はない気もするのですが、動物はすべて種の保存のために雌雄でセックスするわけではありません。ハタラキバチひとつとってもそうじゃないですか。ただただ女王のために働いて死ぬ。そして人間には性行動を自動的に起こさせるようなフェロモンを出す組織も感知する組織も退化している。だいたい「道徳的に」なんちゃらと言う人がいるように、人は考えて自分の行動を律することができる。ほかの動物とはそこが違う。そのへんを「生物学上うんちゃら」という人はどんだけわかって言っているんだろうか。

 

そもそも、あんたは「種の保存」のことを考えてセックスしてんのか?と問いたくなる。こういうこと言う人は大抵は自分の性欲を「種の保存」などという大義名分で正当化しようとしているだけだ。それが大多数の人間にあてはまると思わないで欲しい。

 

こんなことを普段は言わなくても、「LGBTへの差別はなくしていくべきですよね」なんてしれっと言っている人も、もしかしたら腹の底ではこの発言と同じようなことを考えているのかもしれないと思うと、本当にしんどい。自分の隣人も、そう思っているのかもしれない。疑心暗鬼が止まらなくなる。

 

「LGBT」という言葉が広まりすぎてしまったばかりに、単純にそれが実際に生きている人だという認識のないままに、「LGBT=差別してはいけないもの」と捉えられてしまっている気がする。セクハラはいけないこと、というのが広まった時に、「女の子って言っちゃいけないんでしょ」「髪型や体型の話題歯出さない方がいいんでしょ」と捉えられてしまったみたいに。それがどう嫌で、どんな困りごとに繋がるのか、自分ごととして捉えずに単純にNGワード集みたいに捉えられてしまう。そういうことが日本には多い気がする。(それでも、NGワード集がないよりはマシなのだが。)

 

声を大にして言いたいのは「LGBTだって人間なんですけど」っていうこと。普通に自分の人生否定されたら傷つきますので。そこんとこ意識して発言してほしい。

 

例えば同性しか好きになれない人がいたとする。それが自分の家族かもしれない。大事な人かもしれない。そういう人に、「そんなこと言ったってお前が子供作らないと国が滅びるんだから嫌でも我慢して異性とセックスしろよ」って言えるのだろうか、こういうこと言う人は。じゃあ自分が同性とのセックスや恋愛を強制されたら、そうできるのか? 「別に異性とセックスしてても君の性別がなんでもいいけど、見えないところでやっててくれよ」とか「保証はなにもないけど自助努力でなんとかしろよな、自業自得だろ」って言われても怒らずにいられるのか? 普通に嫌でしょ。

 

あーあ。

 

でも、こんな酷いことを平気で言う人がいる世の中でも、私たちは生きてしまっている。今すぐ死ねるわけでもないし、外国にすぐ引っ越せるわけでもない。この社会の中で、日常は続いていく。

 

だからせめて、一緒に怒ろう。一緒に悲しもう。それも無理っていう当事者がいたら、もう見なくていい。酷いニュースには目を閉じて、自分の心の平安だけを大事にしたっていいと思う。ゲームして漫画読んで、おいしいもの食べて、元気になることだけを大事にしてほしい。

 

言った人はなんの意識もないような、気軽な一言が、人のメンタルや生活を壊してしまうことがある。だから、ショックを受けた人がいたら、本当に自分を大事にやりすごしてほしい、と願うばかりだ。

推しがハロプロ在籍中に舞台に出ます

嬉しいよう〜〜〜(泣)

石田亜佑美さんが6月に朗読劇に出演されるそうです。モーニング娘。’21に在籍したまま。よかったね、あゆみちゃん。ものすごく嬉しい。あゆみちゃんに会えることも嬉しいしここ数年ずっと舞台やりたかったのにできなかった彼女がチャンスを掴んだのがとても嬉しい。

 

 

ハロプロにいながら外部舞台に出るということの貴重さ

少なくとも私がハロを好きになった2013年くらいから今まで、ハロプロにいながら外部舞台に出た子はいなかったと思う。(誰か間違ってたら教えて)

普段は夏と冬のツアーがあって、その合間に舞台やディナーショーや握手会やさまざまなイベントが挟まって、彼女らは多忙を極めている。

コロナで単独ツアーがなくなり、ハロコンやバースデーイベントを中心に活動している今、きっとやっぱり、スケジュールが緩やかになっているんだと思う。

正直に言って、悔しかった。だってアイドルがアイドルでいられる期間は短い。あゆみちゃんだってもう歴が長い。だから一年、一年がとても大切なのに、もう一年半近くもの間、機会を奪われ続けているのだ。

でも、その悔しさやつらさがこのニュースを聞けて吹き飛んでしまった。だって、舞台はずっとあゆみちゃんがやりたかったことだから。そして、娘。に在籍しながら外部舞台をやるって、今この環境下でしかできないことだと思うから。本当に本当に嬉しい。

しかも、一番乗りですよ!!!!他の誰でもなくあゆみちゃんが、まず外部舞台に出られた!!!それが嬉しい。ここから切り開いて他の子達も出る機会があるかもしれない。あゆみちゃんは特攻隊長みたいなところある子だし、多分事務所に信頼されているからこそだと思うんですよ。今回も推しがそういう風に切り開いていく存在であること、とても誇らしく思いました。好きです。

 

 

バースデーイベントでの一人芝居から掴んだもの

でもこれってさ〜ほんとに、彼女が舞台やりたいよって意思表示をずっと続けてきて、演技も鈍らないように自ら機会を作ってきたからだと思うんですよ。

もう複数回自分のバースデーイベントでひとり芝居をやり続けている。しかもどんどん進化している。

 

 (2020年はレポ書いていなかった……なぜ……)

 

www.nanakorobiyaoki-sui.com

 

ハロのバースデーイベントは自分で企画して提案して作り上げていくものだから、自分でやりたいって言って、作り上げてきた実績を、見てもらえたってことなんだと思うのよ。いくら演出家さんがお二人ともハロ舞台に関わっておられた方だといっても。石田亜佑美は演技できるって示し続けて、記憶に残り続けてきて、もしかしたら裏側でも自分で自分を売り込んできたってことでしょう?(マネージャーさん経由かもしれないけども)

だから今回の舞台はあゆみちゃんが「勝ち取った」ものだと思うんだ。わーーー私の推しすげーーー。

 

最高に推せる推し最高

もうほんとにね、そういうとこが、大好きなんですよ。好きすぎるのですよ。いつだって努力で道を切り開いて夢を掴み取っていく。その先で最高の仕事を見せてくれる。尊敬でしかない。

こんなに推しがいのある子いないよ。最高に推せる私の推し、ほんとに最高。大好き。

 

絶対見に行きたいのでとりあえず全部申し込みます。

やる気のない日と転職の基準

今週のお題「やる気が出ない」

 

昔からすぐに転職をしてしまうほうで、三十代前半にしてすでに四社目の会社にいる。
三度の転職を経てやっとたどり着いた今の会社では、やりたいことをやらせてもらっているが、全てにおいて完璧というわけでは決してない。お給料安いし。どんな会社であっても人間関係のあれやこれやはなくなることはないし。

 

そんなわけでやる気の出ない日は結構ある。
むしろ昔より増えた気がする。
新卒で入った会社にいた頃は「仕事へのやる気」なんてあんまり考えたことがなかった。毎日前向きに仕事に取り組んでいた。


その頃は仕事がすごく好きなタイプだったのだが、多分無理をしすぎた結果、仕事という行為自体を人生の中で「サブ」の位置に置くようになった。それが、やる気のでない日が増えた理由の一つかもしれない。「メイン」にしすぎると辛くなるし体調を崩したりもするから、仕事は「サブ」と思っておくくらいがちょうどよい。どこかでそう学んだ。人生のメインはパートナーのキツネさんとの生活であり、趣味である。楽しいことをするために、お金が必要なので働く。今はそんなスタンスで働いている。

 

でも、「やる気のない日が増えたかも」と思うし、「もうこんな会社辞めてやる!」と思って転職サイトを眺める日もあるけれど、今のところ実行に移さないのは、ほどよい居場所を得られたからだとも思うのだ。

 

今の会社では、やる気のない日が続いて、しばらくゆるっと仕事をしていたとしても、何ヶ月か後にはその「やる気がなくなってしまった原因」が改善の兆しを見せていたりする。もしくは、「すごく面白い仕事のチャンス」が巡ってきたりする。そういうことがあるから、まあもうちょっと残ってやってもいいか、と思う。

 

今までいた会社はほぼ全て真逆で、「日々状況が悪化していくとしか思えなかった」。きっとそういう会社は、私には合わなかったんだと思う。そのままい続けたらメンタルか体調かパートナーとの関係、どれかを失っていた。

 

この基準は結構わかりやすくて気に入っている。もし「日々状況が悪化していくとしか思えない」ような会社に親しい友人が勤めていて相談されるようなことがあったら、辞めなよって言おうかなと思うほどに。

 

今の自分の仕事に関して言えば、やっと「まあ、もうちょっといてやってもいいか」という会社に出会えたので、人生の「サブ」かもしれないけれど、そこそこ頑張りたいと思っている。(と言いつついきなり転職したりしたら笑ってください。)

 

推す対象が移り変わっても変わらないもの

元々は観劇+日常ブログとして始まったこのブログ。五年も経つと推す対象もすっかり移り変わってきている。今は引き続き石田亜佑美ちゃんを中心にハロプロを推しつつ、スマホゲームにハマり久しぶりに二次創作沼にどっぷり浸かっているところ。

 

でも推す対象が変わっても変わらないところが結構あるなと感じている。

 

マイナーメジャーにハマりがち

本当に昔、それこそオタクを自覚し出した中学生くらいからのこと。どうもマイナーメジャーにハマる。王道で今一番流行っているというものに、どハマりする感じはない。例えばモーニング娘。にハマり出した頃は秋元系グループの最盛期で、一方我が軍は「再ブレイク」と呼ばれる時期に差し掛かっていたと思う。ドメジャーではないけどドマイナーでもない。そういう時にハマる。

そして顕著なのが、二次元で言うところのキャラクターやカップリング。ハマるものハマるもの、マイナーメジャーである。大抵、自分がハマるキャラクターはあまりグッズが出ない。でも、全編を通して数コマしか出ないモブに毛が生えたくらいのキャラクターであるということはほぼない。お兄さんとかおじさん、そして王道の陽キャではなくちょっと変わっている人を好きになる割合が高いからかもしれない。

そう思うと石田亜佑美さんは珍しいパターンかもしれない。昔から固定ファンが多い。今は上の方の期だから特にそうなのかもしれないけれど、とても目立つ人だと思う。……ああでも、はまりたての頃はそうでもなかったかな。鞘師さんというとても大きな存在がいたから。初めて彼女をみたのはLILIUMだったけど、その時の配役も、「主要キャラクター」ではあるが「主役級」ではなかったし。思えば藤原祐規さんもそうか。もしかすると「主役ほど目立たないけど光るものがある人」が好きなのかな。……まさにそれは「マイナーメジャー」だな。趣味が一貫している。

 

推しの良さや解釈を文章で表現しがち

そして、そういうハマったものについては文章で語らずにはいられない。Twitterでなんか喋るとしても140字にみっしり詰めて書いてしまう。もしくは連投する。ブログや二次創作として文字の形にする。

動機としては「広めたい」「良さを知って欲しい」もあるんだけど、「記憶に止めておきたい」も結構大きな動機だ。

人は「見て書く」タイプと「文字が頭の中に流れてきて書く」タイプがいるという。私わりと、前者なんですよね。シーンが浮かんで、それを文章の形で表現する。舞台やコンサートを見に行っても、大抵目に焼き付いているシーンがあって、それを見ている自分の感情があって、それを文章に置き換えている感じ。自分の見てきたものや、感想、解釈……そういうものを文字というツールを使ってこの世にとどめておきたくなるんだと思う。一種の記録癖なのかもしれない。だって強く心が揺さぶられても、それってすぐに風化してしまう。だから、何か形にしたいんだ。

 

生き続けるお手紙スキル

これは舞台沼に浸かってから得たスキルなんですけど、お手紙を書くことへのハードルがグンと下がりました。舞台沼の方って、ファンレターも書くし、フォロワーさん同士が会う時にもちょこっとしたお手紙に日頃の感謝をしたためたりするんですよね。筆まめの人が多い。

 

私がはじめてファンレターを書いた時のブログがこちらです。

www.nanakorobiyaoki-sui.com

以来、なんか筆まめになってしまって、仕事でもお世話になった人に資料を郵送する時に簡単なお手紙をつけたりして、「古風だけど嬉しいね」って驚かれたりする。 石田亜佑美さんにファンレターを書いたことはないんだけど(多分すごく気持ち悪くなってしまうから)、ブログをお手紙のつもりで書いているところがある。二次創作沼でも、今度イベントの時に推し作家に感想お手紙渡そうと思っている。元々文房具が好きなので、単純に可愛いレターセットに可愛いペンでなんか書きたいという動機もある。

舞台沼は離れてしまったけれど、今後もこの「お手紙を書きたくなる気持ち」って変わらないんだろうなーと思ったりする。

 

きっと思い返してみたら他にもいろいろあると思うのですが、ぱっと思いついたのはこの三つ!

ここ何年かで、オタ活以外のいろんなリアル活動もしてきて思ったのですが、やっぱり私は根っからオタクで(といってもいつでも界隈で最もどっぷり浸かっているオタクほどにハマるわけじゃないのですが……それはまた別記事の中で書きたい)、常になんらかのエンタメにはまっていないと人生がつまらない。推す対象は変わり続けると思うけれど、いつも何かに夢中でイキイキしていたいものです。