七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

趣味と共に生きていく

少し前に、人生のターニングポイントになるかもしれない分かれ道の前に立たされた。そして、ある選択肢に対して、「この道には進まない」ということを決めた。

 

決め手になったことの一つが、「趣味」だった。
その道を選んだ場合、少なくとも一時的に、「趣味」の時間を手放すか、せめて縮小しなければならないということがわかっていた。

 

軟弱だと、享楽的だと笑ってください。

私は思いっきり、誰の目も気にせず、時間をたっぷり使って、プライベートの時間を楽しみたいのだ、と思ってしまった。おたくコンテンツに盛り上がりたいし、アイドルに熱狂したいし、小説を読みたい。だらだらとTwitterを眺めておたくTLを追っていたい。何にも縛られずに好き勝手なことを書いたりもしたい。その時間が、今より減るかもと思ったら、もう無理だった。

おたくをするにはある程度お金が必要なのは確かにそうなのだけど、その目的のためにしばらく禁欲的に働く、みたいなことが、もう絶対に、できない。

まあ、その道を諦めたのはそれだけが理由じゃないんですけどね。複合的に、いくつかの理由はあったわけなんだけど。お金よりも、名誉よりも、趣味が自分にとって大事なのだとは思わなくて、ちょっと力が抜けて笑ってしまった。

 

思えば、趣味はずっと私のそばにあった。
どれだけ親に、友達とコミュニケーションを取りなさいと怒られても、小説を読むことだけはやめなかった。
パートナーとの出会いも趣味がきっかけだったし、今も会話のほとんどは共通の趣味の話だ。
仕事も楽しいし、それ自体にも意義を感じているけれど。
そこで稼いだお金のほとんどは趣味に投じているし、趣味に使うお金が欲しいからスキルアップしたいと思ったり副業を始めたりしている。

もはや、趣味に生かされているといっても過言ではない。

 

人によっては、趣味ってなくても別に生きていけるじゃん、お金と時間の無駄じゃんって思う人がいるっていうことも知っている。でも、私にとってはそうじゃないのだ。

 

高校生の頃、議論好きの友人と「生きる意味とは」みたいな厨二病会話をしていた頃があった。その頃私は、いろいろ考えた結果、「死ねないから生きているだけ」と言った気がする。今も実はその実感はあまり変わっていなくて、特に生きる意味的なものは見いだせていない。
ただ、表現は少しだけ変わってきていて、「死ぬまでは生きる」のほうが近いなと思っている。つまり、その時が来るまでは、生ききってやろう、という気持ち。「人生は死ぬまでの暇つぶし」と言い換えてもいい。

 

どうせ暇つぶしなら、楽しいと思うこと、いっぱいしたいじゃん。
もう、未来のために我慢する、みたいなこと、二十代のうちにいっぱいやったから、いいやって思ったりもして。
こういうことやってると大成功はしないかもしれないし、努力を重ねた方が生涯賃金は上がるだろうとも思うんだけど。
それでも私は、趣味と共に生きようと思う。

 

(お賃金上げるための取り組みは大事なので、一発大逆転的なのじゃなくて、引き続きちまちまと地道にやっていきますけどね! でももう、無理はしない!)