七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

キャロルを見たので私が「目覚めた」話を書いてみる(自分へのカミングアウト)

ものすごくよかった、映画「キャロル」の余韻に浸っている。
キャロルと旅行することを彼氏に告げて、正気を疑われるテレーズの台詞、「今が一番目覚めてる」にはハッとした。テレーズにとって、今まで気づいていなかった自分自身にキャロルに出会って気づけたのだなぁ、としみじみ思った。もともと彼女はお人形よりも電車が好きな少女だったのだものね。そういう、世間から見たら「ちょっと変わってる」自分を「今が一番目覚めてる」とはっきり言えることは、うまく言えないけどとても心が揺さぶられた。

そんなこんなで、今日は少し自分のことを話してみたい。


初めての自分のセクシャリティへの気づき 

わたしが自分自身のことを認められたのは、大学生時代だった。
でも、目覚めかけたのは高校生のころ。

当時もたぶん、将来のことで悩んでた気がする(わたしはいつもそうだ笑)
そしてなんでそんなことを考えてたのか全然思い出せないんだけど、「私、レズビアンではないんだよなぁ。なんかしっくりこない。男を好きになる女の人と女を好きになる女の中間っていないのかな」ってぼんやり考えてた。

たぶん同級生に淡い恋心を抱いてた時期だったんじゃないかなぁ。女子高だったから、「男を好きになる代わりに女の子を好きになってるんだ」とかって自分自身を疑ってた。

そのころ、訳が分からないなりに中学生のころドキドキしながら読んでた、森奈津子さんの「あぶない学園シリーズ」を思い出して、「確かあの登場人物にどっちもいけるイケメンが出てたなあ」とか思ってみたり。そしてネットで調べているときに出会ったのが、「バイセクシュアル」という言葉だった。なんか、この時は別段取り乱すこともなく、なんだかすとんと「あ、これだ。これは私のことだ」って思った。その時の感覚だけはしっかりと覚えてる。

なんかね、自分の過去も現在も、否定しなくていいんだって思えたんだよね。中学生のときは男を好きになってたし、でも今は女の子に惹かれる。それがどっちも、おかしいことじゃないし、どっちかにきめなくていいんだって気づきがあった。ほんと、「目が覚めた」感覚だった。


普通の家族を作らねばという無意識の重荷から解き放たれる

それから、出産育児という重荷からも解放された気がした。当時の私はほんと、人それぞれの生き方ってものがなんにもわかってないお子ちゃまだった。

友人が「結婚はするかどうかわからない」と言おうもんなら、「え、なんで?だって女の幸せって結婚して出産して育児して…それが普通でしょ?結婚しないなんてありえなーい!」なんて言っちゃってた…(冷汗)

今思えば本当にあり得んな自分…。でもいかにうちの両親が保守的で洗脳的だったかが振り返ってみればよくわかる。だって、こういう言葉、うちの母親そのものだもの。

でも、自分がバイだってわかってからは、肩の荷が下りた気がした。親に媚びて、「結婚して子供できたら実家の近くに家作るね♪」なんて言ってたのが、気づかないうちに自分の首を絞めてたんだと思う。子供をつくらなくてもいいんだ、無理に男作って結婚しなくてもいいんだってことが、なぜかとても嬉しかった。


ここからが長かった…義務感に苦しめられた大学時代 

そんな、ぽやーんとしてそんな悩んでもいなかった、むしろ目覚めたことに喜んでいた高校時代、そこからが実は長かった。思えば、目覚めかけたくらいで、本当には自分自身を受け入れられてなかったんだと思う。

大学生にもなると、周りの女の子たちは彼氏を作り出す。私は全然、彼氏ほしいとか思わなかった。それでも、焦り出す。

なぜって、女の子を恋愛対象として見てる自分が「治らなかった」から。高校時代はどこかで、「バイかもしれないけど、男と結婚する可能性もある。女の子が好きな時期があってもいいけど、やっぱり世間的にも親のためにも結婚はしたい。女子校だから女の子に惹かれるだけなのかも」って思ってた。

でも正直男にモテるタイプでもない(笑)
そして、女の子にはすぐ好きになるし好意もだだ漏れになっちゃうのに、男には身構えてなるべく自分の側に寄せ付けないようにしてる。女子校出身だったからかなー。いやでも、男友達は別に少なくなかったよなぁ。なんかよくわからんけど、この頃にはもう、女の子には触れたいって思うけど男には思わなくなってたなぁ。
そんなこんなで、彼氏ができるわけでもなく…。

めちゃくちゃ悩んだ。
なにに悩んだって、世間体とか親の期待を裏切ることとか、強固に刷り込まれた「女の幸せ」が実現できないことに対して。

図書館で、同性愛って言葉のある本を探し回って。一文でもいいから、書いてあるものを見つけて読み漁った。勉強なんて全然手に付かなかったよね。

真面目な感じのLGBT団体の会合に出てみたりして、まだ当時「バイ」っていうカテゴリにしがみついてた私は、「私はバイだからとかビアンだからとか、そんなカテゴライズしようとしなくてもよくない?」「結婚する可能性なくないならまだ周囲には打ち明けないほうがいいんじゃない」って人に言われて、より一層混乱したり悩んだりもした(笑)

そうこうするうちにフェミニズムに出会う。上野千鶴子先生やら、田中美津さんやら、小倉千加子先生やら…。信田さよ子さんの親娘に関する本もたくさん読んだなぁ。
読み込むうちに、だんだん、「結婚して、出産して、子育てして」の女の幸せコースは、世間に思い込まされてるだけで、それが本当の個々人の幸せに繋がるわけじゃないってことに気付いた。親はいつか死ぬ。その時に自分の人生を後悔して、親を恨みたくないって思った。自分のために生きていいのだって思えた。

「バイ」って言葉にもそんなにしがみつかなくなってきた。セクシャリティは変わるものだって学んだから。私自身、今や男と付き合えるかって言ったらよくわからないし。

彼女との出会い、そして今思うこと


そんな中、ネットで何人かビアンの女の子や趣味友に会って話すうちに、今の彼女と出会うのである。彼女は当時全然女の子と付き合うなんて考えたことない子だったけど、本当に好きになってしまって押しに押して、一回断られたりしつつも、結局付き合うことになった。
以来、もう7年付き合ってる。長いなー。でも未だに大好きだもんなー。

今は、悩みもたくさんあるけど、まあ幸せである。あの時「目覚めて」良かったと思ってる。あのまま、自分を押し殺して、世間並みの幸せを追い求めてたらきっとどっかで大きく躓いてただろうと思う。人のことも、今よりもっとたくさん傷つけるような人になってたと思う。

まーここからどうなるかはわからないけど。自分や他人のいろんな幸せのあり方に寛容になれただけでもめっけもん。こっからも、柔軟にしなやかに、「自分の幸せ」を生きていけたらいいなぁ。