他人基準、自分基準
最近気分の波に困らされているスイです。こんにちは。毎週のように、ひどい時は一日単位で、アップダウンがあるのどうにかしたい…。
今日は午前中の仕事の打ち合わせの最中、打ち合わせ自体はうまくいっていたのに気持ちがしんどすぎて、終わった直後にランチに直行してぐったりしていました。仕事に向き合いたい気持ちはあるのにうまくいかなくて、誤魔化し誤魔化しやってきたのですけど、もうダメだ〜これは誤魔化すだけじゃなくてちゃんの考えたり自分の気持ちを探ったりせねば〜、と思ってノートに向き合いました。
そこで気づいたのはこんなこと。
あとでブログにもちゃんと書こうと思うけどここしばらく仕事めっちゃ辛くて、お昼に考え事してたけど完全に他人基準で動いてたからかなと思った。前の会社的な「営業なら普通こうするでしょ」とか今の会社の「あの人みたいになりたくない」「優等生でいたい」とか。
— スイ (@SUI_meganezuki) 2017年7月11日
でもどっちかというと最近嬉しかったお客さんに頼りにされたこととか、自分のキャリアをこうしていこうとか、そっちにフォーカスすべきなのかなと思った。他人基準じゃなくて自分基準。自分がこうしたいからこうする。
— スイ (@SUI_meganezuki) 2017年7月11日
前職の最初の上司からの刷り込みがキツくてしなくていい気苦労をしてるなぁってたまに気づかされる。「こうでなければならない」がたくさんある人だった。その基準を少しでも外れるとお前はダメだ、って。
— スイ (@SUI_meganezuki) 2017年7月11日
転職してから「いい子でいなきゃ」度が強いんですよね。前職が結構キツい環境で、メンタルやられる寸前で離脱したのですが、一方で成長幅はとんでもなかったので、あの時の経験を無駄にしちゃいけない、勿体無い、って思っていたり。 せっかく他の人にはない能力を培えたのだし、上司にもそれを発揮することを期待されてるんだからやらなきゃ、とか思ってみたり。
実際やってみると、その頃鍛えられたぶん他の人がやらなくて怒られてるような基本動作はなんなくできて、たいしたことやってるつもりもないのに褒められるんですよね。だからこそ、失敗できない、褒められたように行動し続けなきゃって思ったり。
ノートで自分の思考を整理してみて、そう思うことはいいけど、思い込みすぎると不要なプレッシャーになるなぁということを感じました。
特に、前職の最初の上司は、営業ならシャツになにかこぼしたり飛ばしたりしても大丈夫なように簡易シミ抜きセットを鞄に忍ばせておけよっていうような細かいことも全部、俺の言う通りにしたら成功するしそれができないお前はダメだって言うタイプでした。その時指導されたあれやこれやは、わたしの中に「営業ならこれはできてないとダメ」って刷り込みになっていて、「最近のわたしはたるんでる」って思いすぎるきっかけになっていました。
「たるんでる」のは本当にその通りだし、必要なところは元のペースに戻していきたいけれど、それでも、「その行動ができないからわたしはダメだ」って思ってしまうと行動が止まる。だからこそ、「人の言う基準で、いいとされていること」は、頭の隅に置いてはおくけれど、それだけを行動基準にしちゃいけないなと思いました。
それで、じゃあどういう在り方だったらわたしは元気出て行動できるのか、他人じゃなくてわたしはどうしたいのか、考えてみたんです。
それで一番に思い出したのが、今日お客さんに言われた「最近なにかあったらスイさんにとりあえず電話ですから。いつも助かってます」って言葉。それをノートに書き出してみたら、そこが光って見えました。
なんだかね、すごく納得感がありました。わたしが仕事を頑張るのは、責任感とか舞台やアイドルにつぎ込むお金を稼ぐとか、いろいろあるんですけど、何より、お客さんの役に立ちたいし頼りにされたいからなんだなぁっていうのを、思い出しました。それだけでちょっとだけふわっと体が軽くなって、午後のお仕事を頑張れました。
で、仕事を終えてみたら、元上司の刷り込みに関するツイートに何人かのフォロワーさんが反応してくださっていて。「そういう気づかぬうちにかけられてる呪詛、ありますよね。都度都度外していきましょう!」っていう趣旨のことを言ってくださったんです。
なんだか目から鱗でした。
そっか、囚われそうになったら、外せばいいんだなって。いつまでも囚われてることについて、なんとかしたい、早く抜け出さなきゃって思うんじゃなくて、気づかないうちに囚われてることもあるから気づいたら引き剥がせばいいのかぁって。多分きっと、この言葉のおかげで、しばらくの間は「あっ」って気づいたら「やばいやばい。囚われてる。他の捉え方はないかな?」って探せそうな気がしています。そうやって声をかけてくださる方がいて、本当に良かった。
呪詛をかけるのも人間なら、救うのも人間なのか、なんてことを思いました。
今日はそんな一日。
ではまた!