七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

原風景の話

この前ね、有明の方に行ったんです。新橋からゆりかもめに揺られて、一番後ろの席で、ずーっと、三十分くらい。
ゆりかもめの一番後ろの席って、一般的な電車の席みたいな右側と左側が対面する形の席じゃなくて、最後尾の大きな窓に向かい合うような席なんですよね。平日の夜、わざわざ新橋から海の方に行く人は少なくて、社内はほとんどが空席でした。それで、その最後尾の席にひとりで座ってみたんです。スマホの充電が少なすぎてスマホを眺めるわけにもいかず、左右と正面の窓から、外を眺めていました。

新橋駅からしばらく行くと、遠くに新橋のビル街がきらきらと光りながらそびえ立っているのが見えました。これが摩天楼というものか、と思いながら、どんどん小さくなるビル群を眺めていると、電車は倉庫街に入っていきます。海沿いには時々船が泊まっていますが人影は見えませんでした。
芝浦ふ頭からお台場海浜公園へと電車が向かう間、輝きに彩られたレインボーブリッジが視界の端から入り込んできました。ぽつりぽつりと間隔をあけて橋を彩るライトが綺麗で。それに見とれているうちに、ぐるっと海沿いを回るルートに乗って車体が回り、遠景にあった夜景が視界の端から徐々に映り込んで、最終的に右側の窓も正面の窓も左側も、ぐるっと輝きに取り囲まれるような景色になったんです。メリーゴーランドみたいだった。でも、綺麗、すごい、と思ったのもつかのま。すぐにシースルーのトンネルみたいな中に入ってしまい、また景色が変わっていきました。

 

そうやって綺麗な夜景を長い時間眺めながら思ったのは、これはわたしの原風景ではない、ということでした。
とても綺麗だと思う。でも、強く心を動かされはしない。
思い出の量のせいなのかなと思いました。
海沿いにずっと住んでいた方からしてみたらまた違う感想を持つのかもしれませんが。
混じりけない、ただの、「きれいだな」という感想。ただそれだけしか持てなくて。

 

わたしが心を動かされる原風景は、田んぼの中にうねりながら通っている用水路の小さな土手の上で、名もしれない若い色の雑草がぼうぼうと生えているのをかき分けながら飼い犬とどこまでもまっすぐ歩いていったときのあの景色。
喧嘩した幼なじみが通学路を自転車で猛然と走って行くのを追いかけたときの、雨上がりらしい複雑で透き通った色の空。
はじめて大晦日に近くの神社で年越しを迎えて、友達と喋りながら長い列に並んで除夜の鐘をついたら深夜二時くらいになってしまって、さえざえとした空気に肩を竦めながら両端が雑木林になっている坂道を駆け下りたときの、木と木の間に覗いていたたくさんの星。
そういうものたちで。

 

なんだかひとつひとつ思い出しては懐かしくなりました。
いつかまた、わたしが育ってきたような田園風景や雑木林の中で暮らしてみたい、と長いこと思っています。都会の賑やかさや文化や、いろんな楽しいものごとも好きだし、誰もわたしのことを気にしたりしないから、とても生きやすいんですけどね。現実的に、子どもの持てないわたしたちは、老後は都会の方が暮らしやすいだろうなと思うし。

 

でも、退屈だけど美しい田舎の景色の中で、また生きてみたいなぁ、なんて思います。若かった頃とはまた、見え方も違ってくるんだろうな…。恋人と暮らす、ちょっと田舎の一軒家が欲しいなぁ。