七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

推しとはということを考えた。

推しの大活躍

昨日、地球ゴージャスさんのZEROTOPIAを観にいってきた。観劇にはまりはじめたころからの推し、植原卓也さん目当て。
ぎりぎりまで行くか行くまいか悩んで、結局譲渡を探してチケットを取った。
結論、行って本当によかった。推しが大活躍していたから。彼がめちゃくちゃタップ踏んでるシーンでストーリーとは全く関係なく泣いてしまった。
わたしは、踊っているたっくんが好きだ。ほんとうに、好きだ。
長い手脚をダイナミックに動かして踊る姿も、綺麗なターンも、美しい手指の先まで神経の通った動きも。
いろんな曲でたくさん踊って歌う彼が観られたのは本当に胸が熱くなった。

実は、もう観劇という趣味からなるべく離れていこうと思っていた。二推しだった方の現場を離れて、ついでに一推しの現場も減らしていこうと思っていた。CONVOY SHOWと末満健一さんのオリジナル作品とモーニング娘。の舞台 だけ追いかけるようにすれば、年に5本くらいの観劇で済む。 節約もしなきゃだし。人生も仕事も待ってくれないし。 会わなければ観なければ、忘れられるかもって。
でも、やっぱり観に行ってしまったし、観られてよかった。推しに会えると元気になる。推しの舞台が時々あるから、人生を頑張れる。

 

推しとは何か。

ところで推しとはなんだろう。
はてなキーワードでは、「自分が支持したり愛好したり信仰したりする対象を指す。」と書かれている。
この単純明快な定義からすると、植原卓也さんは明らかに推しだ。
でも、わたしは事務所のイベントには行かない。
舞台だって、ストーリー自体が面白そうでなければ行かない。
パンフすら買わないこともある。写真集は買った。
世の中の若手俳優を推している方々は、推しの出る現場は極力すべて行き、1作品の公演期間中に何日程も観劇をし、グッズを買い、手紙を書き、Twitterで推しの素晴らしさを語って布教する 。
でも、植原卓也さんに関してはそういう行動をあまりしない。
二推しだった方に対してのほうが、そういう行動をしていたと思う 。
彼のことを忘れている期間も実を言うと結構ある。だってなにせ彼は発信量が少ないのだ。ブログをあまり書かないし、Twitterを始めたのだってつい最近。インスタはやっているけれど、わた しはどちらかというと書かれた言葉で世界を把握するほうなので、あまりインスタを見ない。


それなのに、彼のことを一推しだって言っていいのか。
ぼんやりと、だけどずっと、頭の隅にその問いがあった。
二推しには、一般的っぽい推し方をしていたしかなりお金も使った。
でも、たっくんについてはそういうことをしてない。
つまり一推しではないのでは?とか思ってみたり。

 

たどりついた答え

でも今回観劇して、もういいやそういうのどうでも、と思った。
理屈とか関係なく、踊る植原卓也さんが好きだ。
彼の舞台上での立ち姿が好きだ。
また次の舞台でも、彼を見たい。
地球ゴージャスZEROTOPIAでも、その前に彼を見た作品、 黒執事でも、魅力溢れるキャストの方がそりゃあもう大勢いて、それでも彼にいちばんに心を奪われる。ずっと見ていたくなるし、見れば見るほど好きになる。

「推し」の定義が「自分が支持したり愛好したり信仰したりする対 象を指す。」ということならば、あきらかに若手俳優界隈で一番好きなのは彼だ。そしてわたしの心の中のことはほかの誰にも測れない。だからわたしは彼のことを「一推し」と呼ぶ。呼び続ける。
ひとには、投入する資金の量だったり、足を運ぶ量だったり、その人のことを口に出す量でしか、わたしの「好き」ははかれない。だからひとから見たら「それって推しと言えるの?」と思われるかもしれないけど。でも、誰よりも心を動かされて、応援し続けたいと思えるということがはっきりしているのであれば、関係ないんじゃないか。
推しによって応援の仕方が違うのも当然のことで。たとえばわたしは、モーニング娘。の石田亜佑美ちゃんのことは、同じ年ごろの子たちがたくさんいるグループの中で、人気を競うような側面もどうしてもあるし、年齢的にもまだまだ 不安定な頃だから、数少ないライブでも青色のタオルを首に巻いて青色のサイリウムを振ることであなたのことが好きですってアピールをする。SNSでもいっぱい応援してるよっていう。
でも、わたしから見るとたっくんは長期間にわたる公演をするような有名作に出ることや長期の休みをとってニューヨークに行くことを大事にしてるように見える。数でも主演でもなく。そしてあまり言葉でのコミュニケーションが得意ではなさそう。だから、年に何度も彼のことを見られないとしても、彼が舞台に出たときに、彼をしっかりと見つめて、「好き」を噛み締める。直接は伝わらないかもしれないけど、必ずSNSでよかったと呟く。時にはブログを書く。そういう応援の仕方をする。

 

推すのをやめる瞬間

また話は少し飛ぶけれど、わたしは最近二推しだった方を推すのをやめた。なぜかというと、現場で彼を見てもときめかなくなってしまったから。相変わらず、すごいなとか演技がいいなとは思うんだけど。
彼に対しては、けっこう、「世の中の若手俳優を推している方々」 と同じような行動をしていたと思う。現場は舞台・イベントを問わず予定の合う限り行き、DVDを集めたり人に借りたりして過去作品を沢山見て、1作品の公演中に何日程も観劇をし、グッズを買い、手紙を書き、Twitterで推しの素晴らしさを語って布教をした。彼を「推す」ことで、多くのお友達もできて、推しについて語り合ったりもした。
でも、彼がわたしの好きなタイプの作品に出ないことが続いて、なんだか気持ちが切れてしまった。
いま思えば、ちょっと無理をしていたんだと思う。好きだったら、こういう行動をするでしょ、ここは行くでしょ、って思いすぎていた気がする。そして、好きでなくなりかけたとき、無理して好きで居続けようとしてしまっていた。
わたしは、しばしば、推していた方に対してぷつんと何かが切れた みたいに気持ちが死ぬことがある。推しランキングがあるとしたら一気に一位からランキング外に落ちる、みたいな。そういうときって、なにかしら気持ちに無理をしているときなんだ、たぶん。

 

いろんな推し方があってもいい

その点、何故か植原卓也さんに対しては、ずっとずっと、平熱で好き。
たまたま彼が発信が少ない人で、なぜかDVDになる作品にもあまり出ないので、一時期熱狂しようとしたのだけどすぐに行き詰まって、それから、彼はそういうもんだって諦めて、わざわざ情報を取りにいかなくなった。そのせいもあると思う。彼にハマったばかりの頃は、舞台を好きになったばかりで今より情報収集が下手だったし俳優さんのイベントに行く、プレゼントをする、手紙を書く、 みたいな頭もなかったし。
そうやって、過度に情報を摂取しないし、無理にお金も時間も使わないからこそ好きが高まりすぎず無理をしないでつきあえているのかもしれない。
世の中には、観劇が好きでも地方に住んでいてそうそう推しの舞台を見にいけない方や、仕事が忙しすぎてなかなか予定を立てられない方、学生であまりお金をかけられない方、 家族の手前遠慮をしなければならない方、色んな方がいると思う。どうか無理をしすぎず、 一緒に、自分らしい推し方で推し事を楽しみましょう。

俳優さんにとってみたら、お金をたくさん使ってくれるファンも大事だけど、長く細くずっと見守ってくれるファンや、現場にはいけなくても人に勧めてくれるファン…そういう、いろんなファンがいてくれることがその人の俳優生命を長らえさせることに繋がるんじゃないかなと思うし。わたしもわたしらしく、植原さんやあゆみちゃんを推していこうと思います。