七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

考えたこと記録(32日目)私は活動家を嘲る人が大嫌いだ

活動家を嘲り、貶め、馬鹿なことをやっているという風潮は昔からある。そうやって自分自身は安全圏にいながら賢いふりをする人が許せない。私の大好きだったパフォーマンス集団THE CONVOYの属する事務所の社長であり、彼らのパフォーマンスを事務長的な立場で支えている人が、そういった発言をした。それを見て以来、私は彼のやっている公式ツイッターのフォローを外し、年末にすでにチケットを取ってしまっているもの以外はもう彼らの舞台を見に行かないことに決めた。

 何が問題だと感じたのか、一つずつ考えてみたい。

 

少女の「表情」にフォーカスすること

彼は文章の中でこんなことを言っている。

国連で16才の女の子に罵倒される偉い人たちがいた。怖い顔で話す少女の顔が印象的で、途中で大人が書いた原稿だと思った。

いくつも問題がある文章だけれど一番癇に障るのは「怖い顔で話す少女」の部分。これっていわゆる「トーンポリシング」ですよね。つまり、論点ずらし。彼女の訴える内容についてより、「話し方」の方を問題にし、ネガティブな印象を与えている。

www.sbbit.jp

だいたい「怖い」ってなんだよ。そりゃあ自分が真剣に考えていることを真剣に訴えたいときは誰だって怖い顔になるだろ。自分が嫌だったことや怒っていることについて真剣に話しているときに「あ〜こっわ〜〜なに怒ってんの?」って一歩引いたところから馬鹿にしてくるやつって、小学生の頃からいたよな、と思う。そして今もセクハラや痴漢被害を訴える人や、フェミニストと名乗って発言している人に対してそんな風に言ってくる人、たくさんいた。怒っていることを怒ったように表現することの何が悪い。冷静に言ったって、スルーされるじゃないか。彼女は全身を使って自分の主張を表現しているだけだ。それの何が悪いのか。

そういう人たちって、「怒っていること」の内容自体には直面しようとしない。こちらが怒っていると言うこと自体を「かっこわるいこと」として馬鹿にしてきたり、怒られたと言う事実自体にナイーブにも傷ついてみたり。彼女に怖い表情をさせているものはなんなのか、深く考えてみようとしない。とてもずるいことだと思う。考えたくないから、不都合な真実に直面したくないから、そうやって自分は俯瞰して物事を見られていますーっていうポーズをしているのだ。

余談だが、もしグレタさんが若い男性だったらどうだっただろうとどうしても考えてしまう。彼女が男性で、力強く、時に涙さえしながら、同じことを訴えたら「若いのによく考えている、すごい」と彼は評価したのではないか。いや、違うか。「活動家」がお嫌いみたいだから、どっちにしてもネガティブな評価をしていたのかも。どちらにしても腹が立つ。

 

「途中で大人が書いた原稿だと思った」の問題点

先ほど引用した部分のうち後半の「大人が書いた原稿だと思った」の部分も許せない。ユニセフの「子どもの権利条約」でこんな項目がある。

・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)

子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

子どもが意見を表明し、それを真剣に受け取られることが国際的にも保証されているのだ。

しかし、彼は「大人の書いた原稿だと思った」と言うことで、彼女が自分で考えて意見を発していないと断じている。なぜそう思ったのだろう。ソースは?ツイッターでみんながそう言っているから?そんなものはソースではない。少し調べただけでもグレタさんがずっと一貫して同じことを言っていることはすぐにわかるはずだ。そういう発言をすることは、16歳の彼女が、わざわざヨットで2週間もかけてアメリカに渡り、国連で発言した、その行動すべてを冒涜するものだ。それは、大人がやるべきことだろうか。大人がやるべきことは、彼女の言っていることを受けとめ、真剣に考えることではないのだろうか。

多くの陰謀論者が彼女は活動家に操られているのだと言う。私はそうではないと思っているが、もし、万が一、そういうことがあったとして、環境に関する考えを聞かされて行動し発言している彼女の行動がなぜ否定されなければならないのだろう?彼女は、国連に招待されるほどの素晴らしい行動を自ら実践し、世界を変えていると言うのに。茶の間でブツブツ言っているおっさんが、環境保全のために何も行動していない一方で彼女は少しでも気候変動を止めようと人に広く訴えている。それは素晴らしいことではないか。洗脳やそれに準じる手段が使われているならもちろんそれは止めなければならない。だが、彼女自身もそれを否定しているし、百歩譲って「意見を聞かされて」「大人が書いている原稿を読んでいる」としても、彼女は彼女の意思で、それを読むことを決めたのだ。

 

気候変動についての意見

そして、気候変動についての意見も「見ないふりをしている大人」とグレタさんが言っている大人像と全く同じであるのに、恥ずかしげもなくそれを披露している。開き直っているのだろうか。それとも、彼女のスピーチをきちんと読んでいないのだろうか。

温暖化は君も含めて世界中の人間の生活レベルを下げたら可能なはずだが、知ってて出来ないのが、これまた人間の不思議なのだ

まず、グレタさんが「生活レベルを下げる」ことをやっていないとなぜ判断できるのだろう。彼女はより二酸化炭素排出量が多い移動手段である飛行機を利用することをやめて船でニューヨークへと渡ったのに、日常生活ではそうではないと思っているのだろうか。

私は環境問題には関心が低い方だった。だが、最近詳しい人との出会いの中で、例えば肉を食べる日を週に1日から2日減らすだけでも二酸化炭素を減らすことに貢献できることを知った。わかりやすいイメージを伝えてくれる記事がこちら。

www.hopeforanimals.org

つまり、食肉となる動物を放牧し、その餌となる大豆などを生産するために日々森林が伐採され、一方で食肉として動物を育て、加工し、廃棄されるまでの過程で二酸化炭素の排出が拡大しているということだ。

一人一人が行動をすることは、決して難しいことではない。それを彼は「知っててできない」という。その怠慢を、世間にさらして悪びれない。恥ずかしくないのだろうか。面の皮が厚いというのはまさにこういうことだ。子どもが環境についての発言をすると否定するくせに、子ども世代のためにできることをしようとしないのはなぜなのか。「めんどくさいことはやりたくない」って言っているのと同じだ。最高にかっこわるい。

 

「もう観ない」と決めた理由

彼はあくまで「社長」の立場であり、THE CONVOY SHOWの作・演出には関わっていない。だから「社長の発言が許せないからってもう観ないっていうのはどうなのか」と自問自答した。作品に罪はない、作・演出の今村ねずみさんの思想とは別物なのではないかと。だが、彼は、「ツイッターを使ってCONVOYの広報をする」立場であり、会報などの文章も書いている。ツイッターの名前も「オヤジコンボイ+1」である。この「+1」は社長自身のことを表している。つまり、彼が発言する内容も含めて「THE CONVOY SHOW」なのだ。彼の個人的なツイッターで言っている内容ならばまだ許せた。でも、コンボイの公式アカウントでのつぶやきなのだ。そういうことを呟く公式全体を、そのまま、コンボイとして受け取ってほしいというメッセージなんだろうと思う。だったら私は、コンボイを見るのをやめる。政治的な意見があわない人たちの作る物を無理して見ようとは思わない。

しかしまあ、こんな考えの人がよくもまあ、「おっさんと若者のコラボレーション」とか言って「次世代を育てる」みたいなことを恥ずかしげもなくやれるもんだ。若い役者に肉奢って足りないところは指導する。それはそれで大事なことだと思う。どうして同じことであるはずの、次世代を担う存在であるグレタさんを素直に応援するということができないんだろう?自分が行動できないとしても、邪魔するのはやめてほしい。

 

LGBTsに関する活動でも、フェミニストについてもそうだけど、活動家を邪魔してくる人とか、活動家にネガティブなイメージを持つ人ってなんなんだろう。たとえばフェミニストが活動することによって、女性が救われると共に男性だって「男は○○しなければならない」(稼がなければならない、強くなければならない、感情を出してはならないなど)というしがらみから解き放たれているというのに。活動家が声を大きくして活動してくれているからよくなった世の中にただで乗っかっているくせに。なんで無邪気に邪魔をしてくるんだろう。本当に最悪だし大嫌い。

 

よく人は、ポリコレ棒だのなんだのと囃し立てる。だが私は言いたい。「時代についてこられないおっさんはすっこんでろ」と。「そうやって時代についていけてないことをアピールすることはあなたたちのビジネスに肯定的には働かない。お客さん、失ってるよ」と。そして活動家を応援するし、活動家を否定する人のビジネスからは降りる。それが私のポリシーだ。