七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

傷つく気持ちを超えて、つながること

おとといのブログには想像以上の反応をいただきました。
その中に、いつも仲良くさせていただいている「熱帯夜」のmiraさんのブログがありました。

 

この記事のこと、昨日から考えていて全然まとまらないんですが、考えたことをつらつらと書いてみます。

 

純粋な気持ち

彼女のブログの中では「両親の普通と自分の普通が違うこと」「母にカミングアウトをしたけれど本当の意味では理解されていないということ」が書かれていました。印象に残ったのは、彼女がそれでも「繋がろう」としていたこと。両親の生きてきた道筋を理解して、「私とあなたは違う」ということをきちんと保った上で、それでも「わたしの幸せを見せることが一番の説明」と語り、繋がり続けようとしていたのです。

なんだか恥ずかしくなりました。そして、えらいなあ、と思いました。miraさんと日頃会話したりブログを読んだりしていて感じることですが、びっくりするほど純粋で真っ直ぐな方なのです。ほんとうに尊敬しています。

 

わたしは弱いからこそ人間関係を切ろうとしてしまう

恥ずかしく思った理由は、わたしが父の発言に対して懇切丁寧に反論していたことの裏側に、まだまだ、傷ついた弱い心を見つけてしまったから。

「理解してもらえないなら家族だって縁を切る」とわたしは自分で書いたけれど、それは、自分が傷つくのがいやだから。自分を守りたいから。べつに悪いことじゃないと思うんですけどね。そしてそう言えるようになるのも、簡単なことではなかった。それはわたしなりの覚悟です。健康的に、こころも体も壊すことなく、自分の人生を生きていくためには必要なことです。

でも、本当にそれだけで、後悔しないか?
傷ついた心は、未だに言ってるんじゃないか?
「ほんとうは家族を捨てたくなんかない」って。
だから、「いっそわたしか、家族か、どちらかが死んでしまったら楽なのに」なんて思うことがあるんじゃないか?

 

根本のところ

根本のところで、わたしは両親に条件付きでしか愛されないっていう気持ちがあって。
自分の都合のいいように利用されているっていう気持ちもあって。
そんなことを言ったら母は泣きわめくと思いますし父も怒ると思います。
必死に否定すると思います。
でもきっとこうも言うと思うんです。
「そんなこと言われるならこんなにやってやるんじゃなかった!ああ、馬鹿をみた!」って。
心のどこかにそういうつめたい不信があって消えないんです。

 

だから、わたしはいつまでたってもカミングアウトができません。
彼女らにとって「普通じゃない」わたしを否定されることが怖くて。
条件付きじゃないと愛されないっていうことを目の当たりにすることが怖くて。

 

大学生のころ、「家族は仲がよくなくちゃいけない」というのは幻想だと言うことを信田さよ子さんの「脱常識の家族づくり」を読んで、長い時間をかけて納得し、こういう気持ちを乗り越えてきました。「愛にあふれた家族じゃなくてもいい」「すきま風家族でもいい」と思えば少しは楽になりました。家族だって他人だから、適度に付き合っていけばいいんだと。でも、それは「やっと少し生きやすくなった」だけで、まだ傷つき続けているんだろうと思います。だから、彼らのことを「無知だ」「人のことを簡単に否定する、考え方の狭い人だ」ってどこかで見下すことで、まだまだ傷つき続けている自分のこころを守っていました。

脱常識の家族づくり (中公新書ラクレ)

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ひとそれぞれの戦略

誰だってそう。理解されたいけれど理解されないという葛藤の中で、今日も血を流す心を抱えながら生きていく。

わたしの戦略は、自分の生き方を自分でなんとかかんとか肯定して、それを否定するひとに対して違和感を突きつける、主張するやり方でした。わたしは、自分のことをわかろうともせずに「意味なんかない」って決めつけるようなことを言う人に対して「それは違う」って主張し続けます。それはそれで、必要なことだと思うから。

でも、それで自分を否定されたように思う人がいるかもしれません。今回、違うやり方もあるのかって気付かされました。一歩踏み出して、ことさらに主張はしなくても、自分の人生を幸せに生きて、ひとと繋がろうとすることが出来る人もいる。そういう人を、わたしは尊く思います。

同じくブログを引用してくださった、大好きなブロガーさん、まなつさんはこうおっしゃっていました。

人の幸せだったり価値観を貶めたがる人・いわゆる「マウンティング」をしたがる人って自分の価値観だったり幸せに自信が持てないのかな。と最近思いました。
何言っても不安にさせたがったり、未来がないような物言いをしてくる人。
昔はそういう人に会うとすごく悲しくなってしばらく人に会いたくない…って思ってたけど、今は、そういう人こそ「自分」を見つけられるといいね、って心の中で思っている。
この人の自分、どこに行っちゃったのかな?って。

この、目線のやさしさ。まなつさんの意見とわたしの意見は似ているけれど、わたしはまだこの境地にも達せていません。怒りやかなしさに囚われて、その話ばかりしてしまいます。まだまだ、目線が自分にばかり向いています。

ちなみに、わたしのパートナーにこの話をしたら「わたしは、家族に対して『どうせわたしのこと好きでしょ』って思ってるから、もし関係がバレてなにか言われてもわたしはやりたいようにやる」と言っていました。つ、つよい。でも彼女の家庭事情を聞くと、たしかにそれが最適なやり方かも、とも思います。

わたしは、無理をして自ら傷つくことより、まずは自分のこころを守って、幸せになることが先決という気持ちを持っていて、それは変わりませんが、いつか、目線を「自分」だけじゃなく「人」にも向けて繋がるための言葉を持てたら…。そう思います。今はまだどうやって、っていうことは見えませんが、きっかけをいただいたので、この気持ちは忘れずにいたいです。

 

『否定する人はその相手からも否定される』。わたしの好きな舞台でもそんな台詞がありましたから。

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ではまた!