つらつらと、近況その他、考えたこと。
近頃ルーティンが定まりすぎて別のことをしたくなったので、つらつらと近況その他を書き殴っていきたいと思います。
ほんとにいい会社に転職できたと思っている。
転職して半年が立って、モチベーションは上がったり下がったりするのだけど、今はわりと上がっている時期で、本当にいい会社に転職できたよなーという気持ちが高まっている。なんでもやらせてくれる。主体的に動くならば面白さや学びがとても多い。そしてそれをバックアップしてくれる体制が整っている。それでも疲れやらストレスやらが溜まるときはあるんだけど、最近はそういうとき、家の中で家事をしながらにゃーにゃーとかぴゃーぴゃーとか何らかの擬音をいつも発している。(実話)
にゃーにゃーぴゃーぴゃー言っているといつの間にか時間はすぎるので、仕事モードに一旦なってしまえばとりあえずすぐに1日は終わる。そしてそういう時こそ予定を詰め込むべきだと学んだ。待ちではなく自分から予定を詰め込む方法を最近会得しつつあるので、忙しくなり過ぎない範囲で頑張っていきたい。みんなもストレスたまったらなんらかの擬音語を発してみよう。おすすめ。最初恥ずかしいかもしれないけど慣れてくると楽しいよ。
創作活動
昨年、一個同人誌に小説を載せてもらった話はしたと思うのだけど、それからちょっと楽しくなっちゃって、なにかしら文章をちょこちょこと書いている。あいかわらずうまくはないけれどコツが掴めてきて楽しい。わたしは本当に飽き性なので、人生が安定しかけるとすぐつまんなくなっちゃって何か変化を求めたくなる。これはその変化の一つで、しばらくマイブームとして継続できそう。でもそうすると現実的な文章も書きたくなったりして、今日みたいにこのブログに戻ってきたりもする。ここはホームみたいなものですね。しばらく家をあけておいてもまた戻ってこられるような場を継続してこられてよかったなと思っている。
はまっているもの
ほかにハマっているものといえば言わずもがなのハロプロと、鬼滅の刃である。鬼滅は全巻買いしました。きょうじゅろうさんが好きすぎて、一時期きょうじゅろうさんのことばっかりずっと考えていました。
ハロプロは卒業ラッシュで悲しいけれど、特に宮本佳林ちゃんの卒業はとても前向きな、来るべき卒業という感じがするので応援したい。あと、最近モーニングちゃんがテレビにたくさん出てくれていてうれしい。
あゆみちゃんの写真集も買いました。最高すぎてびっくりした。わたしの推しはいつも最高を更新してくる。なによりまず眼鏡がよい。私は男女問わず大変に眼鏡フェチなので眼鏡のページで狂喜乱舞しました。
そして最近はLINE漫画でこれを読み始めたらおもしろすぎて欲しくて仕方ない。
ヘルジャパン
そういう前向きで地道で地に足をつけたことや楽しいことをやれている反面、最近またSNSみる時間が長くてやばいなー元に戻さねばーと思っている。でもそうしていると嫌な話題も結構目に付いて、はーーーヘルジャパンーーーと思う。いろいろあるんだけど、最近印象深かったのはこれ。
気分悪すぎ。辛すぎて途中読みとばしてしまった。あとでちゃんと考えてブログかTwitterに書く。インタビュアーの方もなんだかなぁ…。
— スイ (@SUI_meganezuki) 2020年2月8日
ひろゆきさん、どうして「今の日本では“フェミニズム”って言葉を使わないほうがいい」のですか? | ハフポスト https://t.co/0NOceyzvlH
後編はまだマシだったものの、前編の「主婦は楽でいいよね」という趣旨の発言と「女はある程度かわいければ食いっぱぐれない」という言葉を見て絶望した。言いたいことはいくつもあるけれど、いくつもありすぎてうまく出てこない。例えばこんなこと。
・アンペイドワークという言葉はかなり浸透してきたと思っていたけれどまだ届かない人もいるんだなと。主婦は単に楽をしているわけではない。家事も労働だ。しかも、24時間365日続く、休めない労働だ。
・主婦という身分の人は、家事労働をすることと、自分がキャリアを断念するという大きなリスクを引き換えにその身分を引き受けている。つまり、万一離婚するとなった瞬間に食えなくなる(子供も一緒に)という大きすぎるリスクを背負いながら生きている。それを「一生食いっぱぐれない」なんて言葉で雑に認識されているのは本当に残念。
・男性の苦しさも理解できる。その点で彼が言っていることは正しい。でもそれは、女性も男性も「男性ってこうだよね」「女性ってこうだよね」と小さい頃から社会に刷り込まれた像の通りに生きないと生きにくいって話であって、どちらも解決しなければならないことだと思っている。どちらが先とかあととか、優遇されているとかされていないとか、ではない。私は、sex(生物学的性)とgender(社会的な性)が必ずしもイコールにならないということを知り、その呪縛を脱することでみんなで楽になろうよ、という思想がフェミニズムでありジェンダー論であると思っている。そこがもっと世間に知られて欲しい、理解する人が増えて欲しいと切に思った。後半の「女性はかつてインターネットを使っていなかった論」も「女性は科学的なことに疎い、関心を持たない、男性より後発で関心を持つ」という社会的な女性はこうあるべきというバイアスの上に成り立った論理で、そこに無自覚だなと感じた。
・とはいえ人はすべてのバイアスに自覚的になれるわけではない。私も、インタビュアーの方も、このインタビューを載せた媒体の人も。だからこそ気づいた人は批判して構わないと思うし、批判を受けたときに胸に手を当てて「私の心にバイアスはなかっただろうか」と考えることが大事なのだと思うので、そこで批判された!怒られた!と思って反論に走ったり、保身のようなツイートをしてしまうところが、少しかなしい。人間として、仕方ないことなのかもしれないけれど。どこかで受け止めてくれることをただ静かに願いつつ、私は私のフェミニズムを胸に生きていく。そして、行動し、発言していく。少しずつ、できる範囲からでも。こういう悲しさやしんどさに向き合いすぎず、石川さんのように、とまではいかなくとも、自分のできる範囲で、世界を変えていきたい。
そんな近況でした。またブログ書きます。またね。