七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

回復しようとしている

ここ1ヶ月ほど回復という言葉がよく頭に浮かぶ。

 

私は何ごとにものめり込みやすいたちで、しかも中途半端に器用なものだから、いくつものプロジェクトを同時に回したりもする。それをやっているときは楽しい。アドレナリンで頭が満たされるし、まあまあうまくいって褒められれば、承認欲求までもが満たされる。

 

でも、ある時ぱたっと力尽きる。

 

本当にそれがやりたかったことなのかもわからなくなってくる。実際今も、よくわからない。その時々の、楽しいと感じる気持ちはわかる。でもそれが本心からやりたかったことなのか、欲しかったものなのか、わからない。

ある程度の社会経験を積んできているので、別に心底やりたいことでなくても、やっているうちに楽しくなってやる気が出てくることがわかっている。ある程度の成果を出せればそれがやりたかったことだと勘違いすることもある。そうやって自分を騙しているから、好きも楽しいも、流動的で、作れるものだという感覚が染み付いている。

それは、少し前まではいいことだったはずなのに、なんとなく今は虚しい。そうやってガツガツと好きや楽しいの範囲を広げていかなきゃいけないのって、なんでだったっけ。

自分自身の本心が、私にはよくわからない。本当の好き、本当の楽しいって、何?

 

そんなふうに疲れきって急にエンジンが止まってしまったら、あたたかい布団にくるまって、やり過ごすしかない。

本当にこれは私の欲しいものだったっけ、なんて呆然とてのひらを見つめながら。ひとつひとつ、絶対になくてはならない宝物を、数えていく。

 

パートナーのキツネさんは好きだ。大好きだ。他に別のものがいらなくなるくらい、愛している。

飼い猫たちもとても大切で、目に入れても痛くないくらいに可愛い。

あゆみちゃんを尊敬していて、彼女が出ているコンサートのDVDを見飽きないということも変わらない。卒業するまでは絶対に、見届けたい。ちょっと今は、情報全てを追い切れるような余裕はないのだけれど。

本を読んだり何か書いたりすることは、好きかどうか、少し疑わしい。執着しているという言葉の方がしっくりくるかもしれない。それでも本当に小さい頃からやってきたことだから、近くに本があると、たとえ読みきれなくても、なんとなく安心する。

 

そうやって最低限の必要で好きで大事なものを握りしめて、そのほかのものは全部全部後回しにして。一日に一個でもいいから、最低限以外のやった方がいいものがこなせたら自分を褒めて、甘やかす。

 

ああ、また少し、整理しなきゃいけない時期なのかもなあ。

それでまた、広げて、疲れて、整理して、そんなことを繰り返して生きていくのかな。