七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

どんなに酷いことを言われても、日常は続いていってしまう

ひどいひどいとは思っていたけれど、思った以上に酷くて逆に現実味がない。笑いそうにすらなる。でもこれが、現実なんだ。本当に嫌になる。

 

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元々、LGBT理解増進法という、LGBTの権利を保護する法律に見せかけて実のところは中身がなく、研修の内容一つにも介入すると取れるような記載のある法律を提言していた自民党。そこに野党やLGBT当事者から反対の声があがり、「差別禁止」の言葉が入れられることになった。

 

ここまではよかった。最初の「理解増進」の自民党案で進むよりはずっと。しかし「差別禁止」の文言を入れるというただそれだけのことに対して反発があり、法案の了承が見送られたというクソッタレな顛末がつく。「差別をやめましょう」なんて誰もが合意できるあたりまえのことだと思っていた。これに反発するってことはよっぽど「差別」がしたいのですね、と私は理解した。もしくは、自分に理解が足りていないことに自覚的だから、無意識のうちに差別してしまった場合に罰せられるのが怖いのか。どっちにしても「差別してしまう自分」を守りたいだけだからクソッタレである。

 

これを自民党、与党で最大多数を占める政党の複数の議員が言っている。しかももっとヤバイ、「LGBTは生物学上種の保存に反する」などという発言や「道徳上許されない」というコメントもあったらしい。しかもそれを発言している人は「LGBTを差別するつもりはない」と言っている。いやその発言が差別なんですけど、と思うがそれを全く自覚していないところでさらに絶望が深まる。

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これはもう多くの人が言っているので私がわざわざ言う必要はない気もするのですが、動物はすべて種の保存のために雌雄でセックスするわけではありません。ハタラキバチひとつとってもそうじゃないですか。ただただ女王のために働いて死ぬ。そして人間には性行動を自動的に起こさせるようなフェロモンを出す組織も感知する組織も退化している。だいたい「道徳的に」なんちゃらと言う人がいるように、人は考えて自分の行動を律することができる。ほかの動物とはそこが違う。そのへんを「生物学上うんちゃら」という人はどんだけわかって言っているんだろうか。

 

そもそも、あんたは「種の保存」のことを考えてセックスしてんのか?と問いたくなる。こういうこと言う人は大抵は自分の性欲を「種の保存」などという大義名分で正当化しようとしているだけだ。それが大多数の人間にあてはまると思わないで欲しい。

 

こんなことを普段は言わなくても、「LGBTへの差別はなくしていくべきですよね」なんてしれっと言っている人も、もしかしたら腹の底ではこの発言と同じようなことを考えているのかもしれないと思うと、本当にしんどい。自分の隣人も、そう思っているのかもしれない。疑心暗鬼が止まらなくなる。

 

「LGBT」という言葉が広まりすぎてしまったばかりに、単純にそれが実際に生きている人だという認識のないままに、「LGBT=差別してはいけないもの」と捉えられてしまっている気がする。セクハラはいけないこと、というのが広まった時に、「女の子って言っちゃいけないんでしょ」「髪型や体型の話題歯出さない方がいいんでしょ」と捉えられてしまったみたいに。それがどう嫌で、どんな困りごとに繋がるのか、自分ごととして捉えずに単純にNGワード集みたいに捉えられてしまう。そういうことが日本には多い気がする。(それでも、NGワード集がないよりはマシなのだが。)

 

声を大にして言いたいのは「LGBTだって人間なんですけど」っていうこと。普通に自分の人生否定されたら傷つきますので。そこんとこ意識して発言してほしい。

 

例えば同性しか好きになれない人がいたとする。それが自分の家族かもしれない。大事な人かもしれない。そういう人に、「そんなこと言ったってお前が子供作らないと国が滅びるんだから嫌でも我慢して異性とセックスしろよ」って言えるのだろうか、こういうこと言う人は。じゃあ自分が同性とのセックスや恋愛を強制されたら、そうできるのか? 「別に異性とセックスしてても君の性別がなんでもいいけど、見えないところでやっててくれよ」とか「保証はなにもないけど自助努力でなんとかしろよな、自業自得だろ」って言われても怒らずにいられるのか? 普通に嫌でしょ。

 

あーあ。

 

でも、こんな酷いことを平気で言う人がいる世の中でも、私たちは生きてしまっている。今すぐ死ねるわけでもないし、外国にすぐ引っ越せるわけでもない。この社会の中で、日常は続いていく。

 

だからせめて、一緒に怒ろう。一緒に悲しもう。それも無理っていう当事者がいたら、もう見なくていい。酷いニュースには目を閉じて、自分の心の平安だけを大事にしたっていいと思う。ゲームして漫画読んで、おいしいもの食べて、元気になることだけを大事にしてほしい。

 

言った人はなんの意識もないような、気軽な一言が、人のメンタルや生活を壊してしまうことがある。だから、ショックを受けた人がいたら、本当に自分を大事にやりすごしてほしい、と願うばかりだ。