七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

演劇とLGBT(同性愛関連のいくつかのニュースに寄せて)

 

 

今日の朝は、こんな二つのニュースで始まった。このことについて考え込んでずっと憂鬱な気持ちだった。最近LGBTLGBTと声高に言われるようになったけれど、まだまだ、日本はこの程度の状況なんだなと、すごくがっかりもした。

とくに、一橋大学の学生の事件。ゲイであることを、好意を持っていた相手にバラされて、どんな気持ちだっただろう。大学に相談しても、適切な答えが返ってくることはなくて、どんなに孤独だっただろう。わたしも一度、アウティングされたことがあるし、カミングアウトする前に手が震え心臓がばくばく鳴って、冷や汗をかいた経験だってある。だから、彼の気持ちの一端は、わかる。どんなに、辛かっただろう。

 

両性愛者であるわたしが演劇を好きな理由

ところで、わたしは演劇が好きだ。ただ楽しくて、好きっていう他にも、理由がある。セクマイだからこそ感じる理由かもしれない。

演劇の中では、男が女に扮し、女が男に扮することはよくある。殊更に、無粋に、「これは男性が女性に扮しているだけで異性愛の物語です」なんて説明されることはない。時には明示的にLGBTも出てくる。直接的な表現はなかったとしても、男同士、女同士がどうしようもなく惹かれ合う姿も出てくる。「男らしさ、女らしさ」「惹かれ合う異性」…そういう色が、とても薄い。リアリティを求められるテレビや映画のコンテンツとは大違いだと思う。だから、見ていて楽なのだ。演劇とそれを見る私たちの頭の中では、性も愛もとてつもなく自由だ。ただ純粋に愛や恋や、別れの悲しみ、喜び、そのひと自身にしかない魅力…そんなものに浸っていられる。

どうして、現実世界ではそううまくいかないんだろう。誰も彼もが、女らしさや男らしさ、愛や恋の決められた形に、あまりにも縛られている。

 

つかこうへい「ロマンス」

こんなことを考えていて、つかこうへいの「ロマンス」を思い出した。中屋敷仁さん演出で、池岡亮介くんと鈴木勝広くんの二人が主演の時に初めて見た。つかこうへい脚本は、差別や暴力を過剰なまでに描くから、正直得意ではない。得意ではないのに、見てしまうし考えてしまう。この作品には、こんなセリフがある。

「もう、お別れなんだな。もうオレはお前に愛されることに怯えなくていいんだね。もうオレは、お前を愛おしく思う気持ちに恐れなくてもいいんだね」

池岡くん演じるゲイ男性の牛松が、パートナーであった鈴木勝広くん演じるシゲルに別れを告げられた時に言う台詞。これを聞いた時には本当に胸が痛くて、帰ってすぐに手帳に書き留めた。

同性を好きになるひとは、いつも怯えている。その人を好きでいて、その人から好かれたとしても、だからこそ、相手を不幸にしてしまうんじゃないか?ほかの人生の選択肢もあったのではないか?誰かに後ろ指さされるんじゃないか?本当にこれでいいのか?って。どんなに幸せだって、思ってしまう。そんな気持ちを表現した台詞だったと思う。ここまでのストーリーで、牛松がいかにシゲルのことを愛して、尽くしてきたかが描かれているからこそ、この台詞は本当に胸にささった。

でもさ。おかしいよ、やっぱり。なんで、ひとを好きになることで、笑われたりからかわれたり、しなきゃいけないの?怯えなきゃいけないの?なんで、こんなつらい気持ちを抱えたまま、生きなきゃいけないの?普通ってなんなの?あなたが同じ立場だったら、どう思うの?本当に本当に、悲しい。

早く、こんな台詞に共感してしまう同性愛者が減る社会になってほしい。もっともっと、みんなが想像力を逞しくして、自分と同じでないあり方を受け入れられるようになってほしい。そのために、わたしにできることがなんなのか、わからないけど、いまはただ、悲しみを表明したくて記事を書いた。届きますように。

 

勢いだけで書いた、まとまりのない記事で恐縮です。またきちんと考えたら少し書き直すかもしれません。