七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

どんなに酷いことを言われても、日常は続いていってしまう

ひどいひどいとは思っていたけれど、思った以上に酷くて逆に現実味がない。笑いそうにすらなる。でもこれが、現実なんだ。本当に嫌になる。

 

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元々、LGBT理解増進法という、LGBTの権利を保護する法律に見せかけて実のところは中身がなく、研修の内容一つにも介入すると取れるような記載のある法律を提言していた自民党。そこに野党やLGBT当事者から反対の声があがり、「差別禁止」の言葉が入れられることになった。

 

ここまではよかった。最初の「理解増進」の自民党案で進むよりはずっと。しかし「差別禁止」の文言を入れるというただそれだけのことに対して反発があり、法案の了承が見送られたというクソッタレな顛末がつく。「差別をやめましょう」なんて誰もが合意できるあたりまえのことだと思っていた。これに反発するってことはよっぽど「差別」がしたいのですね、と私は理解した。もしくは、自分に理解が足りていないことに自覚的だから、無意識のうちに差別してしまった場合に罰せられるのが怖いのか。どっちにしても「差別してしまう自分」を守りたいだけだからクソッタレである。

 

これを自民党、与党で最大多数を占める政党の複数の議員が言っている。しかももっとヤバイ、「LGBTは生物学上種の保存に反する」などという発言や「道徳上許されない」というコメントもあったらしい。しかもそれを発言している人は「LGBTを差別するつもりはない」と言っている。いやその発言が差別なんですけど、と思うがそれを全く自覚していないところでさらに絶望が深まる。

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これはもう多くの人が言っているので私がわざわざ言う必要はない気もするのですが、動物はすべて種の保存のために雌雄でセックスするわけではありません。ハタラキバチひとつとってもそうじゃないですか。ただただ女王のために働いて死ぬ。そして人間には性行動を自動的に起こさせるようなフェロモンを出す組織も感知する組織も退化している。だいたい「道徳的に」なんちゃらと言う人がいるように、人は考えて自分の行動を律することができる。ほかの動物とはそこが違う。そのへんを「生物学上うんちゃら」という人はどんだけわかって言っているんだろうか。

 

そもそも、あんたは「種の保存」のことを考えてセックスしてんのか?と問いたくなる。こういうこと言う人は大抵は自分の性欲を「種の保存」などという大義名分で正当化しようとしているだけだ。それが大多数の人間にあてはまると思わないで欲しい。

 

こんなことを普段は言わなくても、「LGBTへの差別はなくしていくべきですよね」なんてしれっと言っている人も、もしかしたら腹の底ではこの発言と同じようなことを考えているのかもしれないと思うと、本当にしんどい。自分の隣人も、そう思っているのかもしれない。疑心暗鬼が止まらなくなる。

 

「LGBT」という言葉が広まりすぎてしまったばかりに、単純にそれが実際に生きている人だという認識のないままに、「LGBT=差別してはいけないもの」と捉えられてしまっている気がする。セクハラはいけないこと、というのが広まった時に、「女の子って言っちゃいけないんでしょ」「髪型や体型の話題歯出さない方がいいんでしょ」と捉えられてしまったみたいに。それがどう嫌で、どんな困りごとに繋がるのか、自分ごととして捉えずに単純にNGワード集みたいに捉えられてしまう。そういうことが日本には多い気がする。(それでも、NGワード集がないよりはマシなのだが。)

 

声を大にして言いたいのは「LGBTだって人間なんですけど」っていうこと。普通に自分の人生否定されたら傷つきますので。そこんとこ意識して発言してほしい。

 

例えば同性しか好きになれない人がいたとする。それが自分の家族かもしれない。大事な人かもしれない。そういう人に、「そんなこと言ったってお前が子供作らないと国が滅びるんだから嫌でも我慢して異性とセックスしろよ」って言えるのだろうか、こういうこと言う人は。じゃあ自分が同性とのセックスや恋愛を強制されたら、そうできるのか? 「別に異性とセックスしてても君の性別がなんでもいいけど、見えないところでやっててくれよ」とか「保証はなにもないけど自助努力でなんとかしろよな、自業自得だろ」って言われても怒らずにいられるのか? 普通に嫌でしょ。

 

あーあ。

 

でも、こんな酷いことを平気で言う人がいる世の中でも、私たちは生きてしまっている。今すぐ死ねるわけでもないし、外国にすぐ引っ越せるわけでもない。この社会の中で、日常は続いていく。

 

だからせめて、一緒に怒ろう。一緒に悲しもう。それも無理っていう当事者がいたら、もう見なくていい。酷いニュースには目を閉じて、自分の心の平安だけを大事にしたっていいと思う。ゲームして漫画読んで、おいしいもの食べて、元気になることだけを大事にしてほしい。

 

言った人はなんの意識もないような、気軽な一言が、人のメンタルや生活を壊してしまうことがある。だから、ショックを受けた人がいたら、本当に自分を大事にやりすごしてほしい、と願うばかりだ。

こんなBLはいやだ!2021(完全なる私見です)

どうもBL愛好家スイです!

 

各種漫画配信サイトのGW割引クーポンやら、DMM電子書籍7割引クーポンやらにまんまとのせられ、BL漫画を買いあさって結構いろいろ読んでいた。元々ストレス溜まるとBLを読みたくなるという性質なので、広告につられてちょこちょこと読んではいたものの、ここまでがっつりまとめてBLを読んだのは久しぶりだった。

 

とりあえずみんな「囀る鳥は羽ばたかない」シリーズを読もう。最高に面白く最高にえっちで最高にもどかしいBLだった。久しぶりにいいストーリーBLを読んだ。続きが気になる。

 

囀る鳥は羽ばたかない 1 (HertZ&CRAFT)

囀る鳥は羽ばたかない 1 (HertZ&CRAFT)

 

 

ストレスなく読めるBL増えましたよね

で、最近思うのは、「俺はゲイじゃない、お前だから好きになったんだ」とか、そういうモヤモヤする台詞のあるBL、だいぶ減ったな、ということ。あと、かわいくて女の子みたいなにゃんにゃんした受けと俺様富豪攻め様のカップリングも。

私はヤマシタトモコさん出てきたくらいから本格的に自分でBL漫画買って読むようになり始めたのだけれど、それより前に友人から借りた昔のBLは今考えると、そういうのがやっぱり多かった。だからハマらなかったのかな、と振り返って思う。

そのあたりのBL作品の変遷はこちらの書籍に詳しいのでよかったらどうぞ。

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす

  • 作者:溝口 彰子
  • 発売日: 2018/12/21
  • メディア: Kindle版
 

でも最近は、カップリングも多様になってきたし、セーフセックスBLも増えてきたし、ホモフォビアもミソジニーもあんまり感じずに読めるのが多いのがいい。あちゃーはずれ引いちゃった!というのが少なくなってきた印象。

 

それでも、最近のBLを読んでいて「あ〜〜〜これはどうなの〜〜〜え〜〜〜」と思うことがいくつかあったのでまとめてみたい。ちなみに最近のBLの定義は、私の感覚なのですがいわゆる電子書籍でBLを読むのが普通になりアプリが乱立してきた頃合いくらいと思っていただけたら。

 

こんなBLはいやだ!その① 性的指向というべきところを趣味嗜好という

最近一番ガクっとしたのがこれ!
主人公カップルに対して「別に男が好きでも気にしないわよ」と家族が伝えるシーンで、「趣味嗜好は多様なんだし」というセリフがあった。


彼が同性を好きになるのは趣味嗜好じゃありませんから!!!!
やめたりできないものなので!!!!

 

そのセリフを発した人の言い振りだとわかっているのだと思うけど、言葉だけ間違っているのは本当にもったいない。読んだ瞬間に一瞬現実に引き戻されるから本当にやめてほしい。たとえ作者さんが間違って使ってしまったとしても、編集さんとか校閲の人とか、その作品を世に出す会社としてのチェックをしてあげてほしい。お願いだから。

 

こんなBLはいやだ!その② 安易に結婚する

最近私はとても結婚したい。

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だから、現実世界で結婚できないのにBL世界で安易にプロポーズして結婚してみんなに祝福されて……という流れをみるとモヤッとする。結婚的な意味合いで「パートナーシップしよう!」というのもモヤッとする。パートナーシップ制度はあったほうがいいけど結婚にはとても及ばない内容なので無駄にそのBLカプの行末が心配になってしまう。

わかっている。これは嫉妬でわがままなのかもしれない。そのBL世界では結婚できるのが常識なのかもしれない。

でも、だったらそういう世界なんだよ〜というのをどこかで匂わせてほしい。心の準備をするので。だから完全にフィクションの世界線で結婚できたり子供作ってたりするのは全然あり。(セクピスとか超好きですもん。)

BLはファンタジーだってわかって読んでいる。だからこそ浸りたい。「この作者さんは現実の同性婚やパートナーシップ制度のことをどのくらいわかって描いていらっしゃるんだろうか」なんて終わった後考えたくないんだ〜〜〜!!! ウエーン!!!

めんどくさくてごめんなさい。でも作者さん、ちょっとだけでいいから勉強してくれたらきっと表現のしかた変わると思うので……自分のこの世に生み出したカプが可愛くない作者なんていないはずなので……! 何卒よろしくおねがいします!

(もちろん学んだ上であえて現実世界にはないけど幸せにしたい一心で描かれているのだとしたら私の読み方が足りなかっただけなので本当に申し訳ない限り)

 

こんなBLはいやだ!その③ 避妊具つけない

もう三十代も半ばに近づこうとしている年代なので、このBLを若い子が手に取ったらとか、そういうことを考えてしまう。たのしけりゃいいってもんでもない。

だから、避妊具つける描写がいちいち入っているBLを読むと「おっ、ちゃんとしてるじゃん」と思うし、生セックスを望むようなキャラクターが出てきてしまうとヤメテ!!!と思う。セーフセックス大事。だって、私も中学生くらいから友人に貸し出されてBLを読み始めたけどそういう人多いと思う。でもそういう子らが受けちゃんが生でヤって気持ちよさそうにしてるのみたら自分もやってみたいって思っちゃうかもしれないじゃないですか……(心配)

同じ意味合いでごっくんもちょっと気になる。性病とか……心配じゃないですか……。

たとえばストーリー上どうしてもそういうおせっせが必要な時も、なくはないと思う。完全ファンタジー世界での妊娠ものとか。ヤクザもので無理やり……という描写が必要な時とか。

そういう時以外の、ふつうのらぶらぶBLの場合は、ちょっと画面の端に避妊具落ちてる描写を入れるだけでもいいからセーフセックスだよアピールを入れてほしいものです。

 

完全に私見で、ちょっとだけ同性カップルの片割れとしての視点も入った、「こんなBLはいやだ!2021」でした。みなさんの「こんなBLはいやだ!」も聞きたいな〜。

差別に慣れるな。気づけ、戦え。

ここ1ヶ月くらい、「ああ、私はよくない状態に慣らされていたんだな」ということに気づくことがたびたびあった。比較的いつも社会に怒っていて戦っているはずの自分でもそうなのか、と驚いた。

 

例えば、同性婚訴訟。札幌で、「同性婚を認めないのは違憲」という初めての判決が出た。とても、嬉しかった。Twitterを見ていたらTLにいた仲間みんなが泣いていた。私も泣いた。こんなふうに、涙が出るとは思わなかった。

だって、違憲判決が出たからってすぐに結婚できるわけではない。他の地域の同性婚訴訟の結果がどうなるかもわからない。実際に法律になるには相当の時間がかかるだろう。あらゆる制度は「男と女」の夫婦と子供という家族を前提に作られている。一つ一つ変えていかなければならない。それだけでも時間がかかるだろうに、反対派する人もいる。しかも、国会の最大派閥が、反対している。そりゃあもう、時間がかかるだろう。

現実にそうわかっていても、思わず泣いてしまったのは、「あなたたちは間違っていない。間違っているのは制度の方だ」と、言ってもらった気がしたからだ。別に認めてくれなくていいし理解なんていらないから不利益を被る制度を改めてくれよってずっと思っていた。私たちの関係性は全ての人に受け入れられるものではないと、思い込んでしまっていた。でも、本当は、認めてほしかった。共感してほしかった。祝福されたかった。そんな気持ちを持っていたことに、ようやく気づいた。

 

 

もうひとつ、似た出来事があった。私は昨年の秋以来自分の住んでいる自治体にパートナーシップ制度を入れるための活動をしている。その過程で、こんな言葉を聞いた。

「婚姻制度は標準的な家族のためにある」

その発言をしたひとは、LGBTsへの理解を深め寄り添うことは必要だ、でも、という文脈でこれを言った。つまり、理解は示すけれど結婚に類する制度は必要ないのではないか、と。

うわあ、と思ったけれど私はその時、思ったより酷いことは言われなかったな、と思ったのだ。あまりLGBTsへの理解があるタイプの方ではないことを知っていたから、もっと酷いことを言われるかも、と身構えていた。だから、あの人でも理解は示さざるを得ないくらいに世の中が変わってきたのだなと感慨に耽りさえした。

でも、自宅に帰ってからじわじわと、酷いことを言われたんだって気づいて、悲しい気持ちになった。「標準」って、なんだ。その人も、言いにくそうに口ごもりながら言っていたけれど。つまり、私たちが傷つくかもとか、世の中的には言ってはいけないんだろうなと思っていたのだろう。それでも、そう言った。

自分は「標準」だって思っているんだろうな、無邪気に。自分の子供や大事な人が「標準」にはまれない人であるかもしれないのに。そうなった時にその人は、仕方ない、自助努力でなんとかしろって言うんだろうか。「標準」から外れる瞬間って意外とたくさんある。働けなくなるほどの大きな病気をしたとか、車にひかれたとか、思いがけず事故を起こしてしまって自分が加害者になってしまったとか、急に家族が介護状態になったとか、離婚することになってまだ幼い子供を一人で育てなければならなくなったとか。そうなった時に初めて「標準」でない人のつらさや苦労を知る。きっと、自分がマイノリティだと感じる瞬間が今までの人生でなかったんだろうな、あの人は。羨ましい。

 

でもここで言いたかったのはそれを言った人への恨み節ではなくて。全く私が無感覚になっていて、聞いた瞬間反応できなかったっていうことだ。まあそういうこと、言いますよねーはいはい。テンプレすぎて笑えるわ。べつに傷つかないし。まあでもエクスキューズつけながら言いにくそうに言うってことは形だけだとしても理解し始めているんだろうな、まあ許してやるわって。そんな感じだった。実際その瞬間心の動きはすっごく鈍くて。悲しいもつらいも、全く感じなかった。

 

感情的になることが、すべていいこととは思わない。戦略的に黙ったり許したりすることは、ある。でも、慣れてしまうことは、怖いことだと思う。慣れて、仕方ないことだから自衛しよう、自分たちのできる範囲で対策して、まあ幸せで、声上げなくても行動しなくてもそんなに不自由しないからいっか、って思ってしまうのが怖い。そうやって足を止めてしまったら、他の大勢の動けないほど傷ついている人や、次の世代の人が、困る。戦える人が戦った方がいい。でも、戦うために感情を鈍麻させたら元も子もない。いつか、そんなのいちいち傷ついてたらキリないよって、今まさに辛い人に言ってしまいそうで怖い。

 

すべての感情を、大事にしたい。差別に慣らされて諦めてしまわないように、気をつけたい。戦うために。そして傷ついた誰かに優しくするために。

同性でも、結婚したい。

最近もう、ものすごく、結婚したい。
パートナーはいる。長年付き合っている大切なひとが。
家もある。かわいい猫ちゃんたちと一緒に暮らしてもいる。
ただ、結婚という制度だけがない。

 

自分がここまで結婚したいと思うと思わなかった。今までは「結婚」という制度に苦しめられてきているという思いが強かったから。5年前の記事はこちら。(ところで5年もブログやってるんですね、今気づいてびっくりした。最近ブログリニューアルしたくて仕方ないのだけどこうして思考の軌跡を辿れるのはいいな。)

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おそらく「私も歳を取った」ということなんだと思う。そして、知識が増えた。
5年前はまだまだ若かった。家も買っていなかったし、猫とも暮らしていなかった。実家へのカミングアウトもしていなかった。
けれど三十代になってそういったライフイベントを通り過ぎて、「その後のこと」をよく考えるようになった。

 

パートナーのキツネさんとは歳の差がある。彼女はもう何年かすると四十代になる。
私だってそう遠くない未来にそうなる。
いままでは、若くて健康だったからいい。
でも、今、どちらかが倒れたら。病気になったら。突然意識がなくなったら。
私たちは互いの病状をお医者さんから聞くことができないかもしれない。死目に会えないかもしれない。
そういう危機感が、本当に身近なものとして感じられるようになってきた。

 

今までは、なんとなくそういうこともあるかもしれないけど、とどこかで他人事だった。それが一気に自分ごとに感じられるようになったのはこのニュースだ。

 

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同性婚裁判の原告だった方が倒れたとき、パートナーさんは病状の説明を医師から拒否された。HIV診療の拠点病院ですら、そうなのだ。


医師である私の友人に聞いた時、事前の意思表示が重要だし、実家の家族にカミングアウトしておいていざというときに家族づてに情報を共有してもらえるように準備しておいた方がいいよね、と言っていた。医師としては誰がキーパーソンなのかを把握しておく必要があるだけで、それが法律上の配偶者である必要はないんじゃないかなあ、と。


でも、こういうニュースを見ていると、そんなものでは足りないと思わせられる。
自助努力の範囲でどれだけ準備したって、受け入れる相手の側に知識がなかったり、病院組織自体が保守的な方針だったりすると、それだけでもうどうにもならない。
かかりつけの医師にカミングアウトしておいたって、出先で倒れて運び込まれた病院に理解がない可能性だってある。


はずれがいっぱい入ったくじをひかされているようなものだ。
基本的には健康で、意識を急に失うような事故や急病にかからず、実家の家族にも恵まれ、理解ある医療機関を見つけて確かな合意形成をしながら、穏やかに死を迎えられる確率って、一体どれだけあるんだろう?
気が遠くなる。
異性愛者で法律婚をしていればいつだって正解が書かれたクジを引けるのに。

 

この手のことって本当にたくさんある。たとえば相続のこと。
私はカミングアウトした時に実家の親から「相続権を放棄しろ」と言われた女だが、自分自身はというとパートナーだけに相続できるかどうかわからない。
公正証書で遺言を作ったとしても、請求した場合は法定相続人である親などが一部を受け取ることができてしまう。

www.hinata-office.com

正直「相続権を放棄しろ」だの「一生懸命育てたのになんでそんなふうになっちゃったの」だの言われた親に私が稼いだ金もなんとかして買った家もびた一文渡したくない。親が死ぬまで絶対に死ねない。

 

けれどなぜ、こんな心配をしなくてはならないのだろう。わざわざ、安くないお金と、手間をかけて、遺言書やらパートナーシップ合意契約書やら死後事務委任契約書やら任意後見契約やら、いくつもの公正証書を作らなければならないのだ?
結婚できれば、たった一枚の結婚届を出せばそれで済むのに。
(ちなみにあまり詳しくない方に向けて書くと、パートナーシップ制度では相続関係はカバーされない。配偶者控除も利用できないし遺族年金ももらえないし、あらゆる法律に書かれている「配偶者」として扱われることはない。)

 

結婚が愛の証だと思う人もいるけれど私にとってはそうではない。
ふたりで、安心して生きていくために必要なものなんだよ。
「万一の時のこと」を常に考えながら生きていたくなんてない。
本当に「万が一」のことが起こってしまった時に悲しい想いをしたくない。
ただそれだけなんだ。

 

「結婚」の意味を深く考えずに済む人たちが妬ましい。
なんとなく恋愛して結婚して、中身を考えなくても多くの制度の恩恵を受けられる。
多くの場面で説明もなく家族として扱われる。
そんな人たちが羨ましい。
べつに、あなたたちの権利を奪うわけじゃない。
よく保守の人たちがいうように「家族の絆」を壊したいなんて全く思っていない。
だから、私たちに結婚できる権利をください。
ほんの少しでいいから結婚できないカップルにはどんな困りごとがあるのか知って、自分が同じ立場だったらどう感じるのか、一人一人が考えてほしい。

 

明日とうとう、同性婚訴訟の最初の判決が下る。どうか私たちにとって前向きな結論となるよう、願いたい。

mainichi.jp

 

 

2020年の振り返り(濃ゆい一年でした)

約半年ブログ書いていなくてもはや文体を忘れかけております。ども、スイです。

濃ゆかったなあ〜2020年。2020年1月には想像もしていなかった展開がたくさん起こりました。

 

コロナによって起こった生活と考え方の変化

もともと、たいへん働き方の柔軟な会社に転職していたので、コロナ禍でもあまり大きく働き方が変わったという印象は最初ありませんでした。でも、週3日はなんやかんや、1日数時間でも出勤していたのが、ほぼフルリモートになってからは、思いのほか精神に負荷がかかっていたようでした。急に言い方が攻撃的になったり、落ち込んだり、仕事に前向きな気持ちで取り組むことができず自責感情でいっぱいになったりしました。

半年くらいそういう波が大きい状態があって、やっと最近元気を取り戻しました。

一番大きかったのは、収入の不安。たった一ヶ月だけだったけれど、売り上げが落ちて、お給料が少し減りました。減少幅もほんの少しだったけれど、極度の不安感に苛まれました。この頃の手帳を見ているとほぼ毎日のように手持ちのお金と使うお金のシミュレーションをしています。そんな精神状態になってしまったのは、基本給を大きく落として転職したからで。ほんの数万円減っただけでも大きく生活に影響するので、本当に恐怖でしかありませんでした。(だってその月の赤字が数万円だったとしても、万一それが半年続いたとしたらいくらになるか?とか。頑張って支出減らそうともしましたが、なかなかうまくいかなくって。)

というわけでいろいろ試行錯誤した結果、ライティング系の副業の機会を得ることができました。副業収入が得られたことでだいぶ精神は安定して、これまで体系的な知識がなかった分野でも知識がついて、お金と責任がかかってくるのでちゃんとしたものを毎週書く習慣もついて良いことづくしでした。でもこれも、多分本当に最初のきっかけは、はてなさんでこのブログ書いていたら拾ってもらって、外部の媒体さんで書く仕事を単発でもいただいたことだったと思います。はてなさん本当にありがとうございました…。

とはいえ、体やメンタルを壊すほどに労働をしたいとはもう思わない。それに営業担当者スキルではこの後のキャリアに行き詰まり感が少し出てきた気もしている。なんでもやらせてくれるし副業もOKな会社であることを生かしてちょっとずつ新しいことやってできることを広げていきたいです。

緊急事態宣言の頃、1日1日、毎日発表される感染者数やコロナ関連情報を張り付くようにして見ていたことをたまに思い出します。よくも悪くもその後コロナ関連ニュースは日常になり、あの頃の3倍から4倍くらいの感染者数が出ているにもかかわらず、ある意味で多少鈍くなって、情報を取る/取らないを選択できるようになりました。やっぱり、普段と違うことが起こるって大きなストレスなんだと思う。みなさん、自分をいたわって、どうか無理のないよう、ご自愛くださいね。

 

猫との生活

保護猫の譲渡を受けて猫と暮らし始めましたよーというブログを春ごろに書きました。

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絶対触らせてくれないツン猫がちょっとずつ柔らかくなってきて、まあツン状態でも姿を遠くに見られるだけで幸せになれるくらい大好きなんですが、最近要求鳴きが激しいのが可愛いです。ごはんに鰹節をかけろーとか、遊べーとか。言ってることがなんとなくわかります。

あまりにもうちの子がツンなのを心配した保護主さんが、兄弟猫のトライアルをしませんか?って言ってくれて、年末年始、我が家にはもう一匹のニャンコがきました。トライアルが成功するかわからないのですが、なんか彼がきてから、元からいたニャンコがさらに柔らかくなった気がします。いつも夜はリビングにいるのに、今日は同じ部屋で寝ていました。かわいすぎる。

 

推し活

1月にブログ仲間のだなえさん誘ってハロコンに行けて本当によかったと今振り返れば思います。あと、あゆみちゃんのBDイベント。今年こそはモーニングちゃんはもちろん、つばきとJuice=Juiceも追いかけるぜ!って思ってたくさんチケットをとっていたのに、その後のコンサートはすべてなくなってしまった。

12月に行われたかりんちゃんの卒コンだけは、リアルに見られてよかったです。もし数ヶ月遅いタイミングだったら、やれなかったかもしれない。

そんな状況下でもあゆみちゃんは私の中の希望の光であることに変わりありません。ソロフェス、本当によかった……。

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時々疲れるとモーニングちゃんのDVDをかけて、あゆみちゃんの堂々としたウォーキングやダンスを見て、私もこんなかっこいい女になりてえな……って何度か呟きました。大好き。最近は工藤遥卒業スペシャルと尾形春水卒業スペシャルのDVDをよく見ます。えっこれもう2年とか3年とか前なの??信じらんない!男と女のララバイゲームまたやってほしいー!トキメクトキメケも見たいー!

 

 

 

読書

リアルに会いに行くタイプの推し活がぜんぜんできない情勢だったので今年は読書がはかどりました。読書メーターに登録されているので33冊だけど文芸誌も何冊か買ったし、もっと読んでいるはず。なかでもなぜかホラーにはまって、小野不由美と澤村伊智(ぼぎわんが、来るの人)を読み漁ってましたね。小野不由美やばい。本当に怖い。何読んでも怖い。トイレ行けなくなった。

単発で読んだホラーで一番好きだったのは、迷い家ですね。この方はこの一冊くらいしか出てないのが残念。かわいい(?)狼が出てきます。動物出てくるものに弱いんですよね……。あと思った以上に壮大なスペクタクルだったので是非読んで欲しい。

迷い家 (角川ホラー文庫)

迷い家 (角川ホラー文庫)

  • 作者:山吹 静吽
  • 発売日: 2019/09/21
  • メディア: Kindle版
 

ババガヤの夜もよかった!!!

二人の女が出会って一緒に生きていく物語。バイオレンスもありの謎解きもありの、最高のエンタメ。ラストシーンの海が頭にやきついている。

ババヤガの夜

ババヤガの夜

  • 作者:王谷晶
  • 発売日: 2020/10/22
  • メディア: Kindle版
 

 

 

創作活動

文章講座に通って以降、ぼちぼち創作活動を続けています。いろんな賞に応募してみたり、単にキツネさんと友人に読ませてネットにあげたり、二次創作したり。数えてみたら合計で24も小説作っていたらしい。驚き。まあとはいえ大半は二次創作なので、萌えの力ってすごいっすね。twstというジャンルの別垢でマイナーカプ書いています。

何が楽しいって、ちょっとずつ向上できるところなんですよね。好きな作家さんの抜き書きとかしたり、ここがうまくなりたいって思って試行錯誤すると、当社比ですが着実に成長できるのが嬉しくって。感想もらえたりすると有頂天になるし。引き続き頑張ります。

来年は本も出すぞー!

 

LGBTs当事者としての活動

ちょっとほんとに意外だったのですがバイセク当事者として、LGBTs支援系の活動を始めました。こういうの、こたつで政治に対してぐちぐち言って、せいぜいブログやTwitterで意見表明するくらいのものだったのですが。自分でびっくりしています。これも副業でLGBTsに関連する記事たくさん書いたことと、当事者活動を長年やっている友人と再会して副業の相談をしたことがきっかけでした。なので、自分で動いてみるのって本当に本当に大事だなーってつくづく思いました。一歩踏み出して、普段会わないような人と会ったり、茶飲み話ももちろんいいんだけど、もうちょっと深い話ができるような機会(私の場合はそれが仕事だったけど)ができると、ぐわっと世界の見え方が変わったりする。

やってみて思ったのですが、世界って意外と行動することで変わるし、一歩踏み出した人を、自分のできることでサポートしようとしたり励ましたりしてくれる人って本当にいっぱいいるんだなっていうことを感じました。これから大変なことも嫌なこともきっとたくさんあるんだろうけど、無理のない範囲で頑張ります。

 

今年一番買って良かったもの

ちなみに今年買って一番よかったものはこのラーメン丼です。千円くらいなんですけどお店のラーメンみたいに見えてテンション上がるんですよ。最高。

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まとめ

いやあしかし、振り返ってみたらほんと過活動でびっくりする! 仕事がフルリモートになって通勤時間などがなくなったことで、時間的余裕がさらに増えたこともあるんだけど、それにしても動き回りすぎでは。やっぱり私は前世マグロなのかもしれない。動かないと死んでしまう。でも不思議なことにいろいろ動いている時の方が精神が安定するんですよね。バランスは大事だし、ほんとに時々しんどいときあって「やっちまったな……」と思うけど、動き続けることも大事にしたい。

これからカミングアウトする人に伝えたいこと

一般的な「2019年度」……つまり、2018年春ごろから2019年の春ごろまでの期間は、激動の1年間だった。やっている本人は淡々と目の前にきたハードルを一つずつジャンプしていただけつもりだったけれど、途中相当に怒りっぽくなったり、もう駄目だと思ってみたり、追い詰められて死にたくなったりしたのは、やっぱりそれなりの心理的負担があったのだと、今振り返って思う。

家を買った。私に同性のパートナーがいることを実家にカミングアウトした。仕事では担当者としては一定レベルまで上り詰めたが気持ちがおかしくなりかけて仕事を辞めた。本当に大変な一年だった。

カミングアウトをしたことで、家族との関係性が大きく変わり、そのことで自分の気持ちのあり方も大きく変わった。今日はあらためてそのことについて振り返ってみたい。

ちなみに、カミングアウトをした時の記事はこちら。相当に感情が揺れていて読みにくいと思うけれど、その時の感情をそのままぶつけた記事なので許してほしい。

 

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圧倒的に生きやすくなった。

結論からいうと、カミングアウトは「うまくいった」訳ではない。母に滅茶苦茶に否定され、サンドバックのように嫌味や傷つく言葉を投げかけられながらひたすらに耐えた。

「一生懸命に育てたのになんで普通に育たなかったの」 「パートナーシップ制度というのが最近はあるらしいけど絶対に使うわないで。家族に迷惑がかかるから周りの人にはカミングアウトしないで」「私はあなたのこと独身だと思うことにするから」

そう言われるのは本当に本当に辛かった。今でも思い返すと胸が痛む。

それから時間が経った今どうなったかというと、私のカミングアウトはなかったことにされている。実家には時々帰る。でも、そのことには全く触れられない。母の送ってくるLINEは以前はくだけた口調だったのに何故か丁寧語になっている。家に帰ってからもそうだ。刺々しい口調で迎えられる時もある。父はその状態を無視している。理解してくれている弟夫婦にはあまり会えていない。

そんなこんなで、家族関係は決していい状態ではない。けれど、気持ちとしては案外すっきりしている。圧倒的に生きやすくなったとさえいえる。やはり「家族に嘘をついている、隠し事がある」「いつかはカミングアウトしなければならない」という状態は気持ちを随分重たくしていた。そして、私はずっと「親に条件付きでしか愛されていないのではないか」「自己肯定感が低いのは親との関係が影響しているのではないか」と思っていたけれど、そういうのが全部どうでもよくなった。自己肯定感が低いのは事実だけど、それを高めてくれるパートナーや、友人たちと付き合えばいいことだ、と思うことができた。

 

親も人間だった。

結局のところ、母も父も、人間だったのだ。私は今三十二歳だけれど、父と母にも同じくらいの年頃のころがあった。その頃に子育てをして、今に至っている。その間、私のようなレズビアンとかバイセクシャルとか呼ばれるような人たちと、出会わなかったから、もしくは気づこうとしなかったから、私のような子供が生まれると言うことを想定していなかったのだ。

そして、女とはこうあるもの、男とはこうあるもの、という世界をくくる枠組みを疑わずに生きてきた。私は自分が女性も男性も好きになることがあるということに気づいて悩み、情報を漁り、自分の持っている枠組みが絶対のものではないということに気づく機会があったから、今こういう境地に至っている。でも、母と父にはその機会がなかった。気づきにくい時代に生きていたということもあると思う。

そして、母も父も、「最初から絶対的な愛情を持った親」ではなかった。私自身が絶対的に父母を愛せる良い子供ではなかったのと同じように。そしてもし子供を産んだとしても、私も、そんなものを持てる自信はない。頭ではわかっていたけれど、心が納得していなかった。でも今回のことでわかった。母も父も、最初から母と父であったわけではなく、徐々に母と父になっていったし、子供を生み育てればその瞬間に絶対的な愛情を持てるわけではないのだ。

ここまで育ててくれて、教育してくれたことには、本当に感謝している。そのこともしっかりと伝えた。でも、受け取ってくれなかった。とってつけた言葉のように聞こえると、言われた。それはもう仕方がないことだと思えるようになった。だってお互いに、別の人間だから。お互い別個の個体で、別々の経験をして別々の人生を生きる、人間なのだ。たとえ血の繋がった人間だって、すべてを理解しあえる訳ではない。

 

勝手という言葉

母はカミングアウトをした私のことを「勝手だ」「思いやりがない」と言った。確かにカミングアウトして、私はすっきりした。母は私が「普通でない」ことをずっと抱えて生きていかねばならなくなった。

でも、すっきりして何が悪いのだろう。私がカミングアウトをしないとして、母は幸せでいられただろうか。結局結婚しない私に気を揉み、気を遣いながら生きていかねばならなかったのではないか。そうやって私も母も互いにうっすらと不幸でい続けることが、私にはいいことだと思えなかった。

そして、私が永遠に隠し事をして苦しみ続けるという不幸を背負わせ続けるのだから、私がカミングアウトしないことを強いる母だって、「勝手」だと思う。

 

これからカミングアウトする人に伝えたい三箇条

そんなわけで、後ろ向きなようでいて前向きな結論にたどり着いた。カミングアウトしてよかった。私はすっきりして、自分がいて心地よい人間関係を選択して、生きていく。どうせ親との関係は切っても切れない。親が死ぬときは私に連絡が来るだろう。でも、生きている間、別に仲良くしなければならないと決まっているわけではない。

 

1、自分が生きたいように生きよう

カミングアウトは、正直してもしなくてもいいと思う。カミングアウトが成功して愛情いっぱい幸せいっぱいの家族関係を築ける物語が世の中には溢れているけれど、私のように、決していい結果に終わらないこともある。でも、「自分が生きたいように生きる」ことは是非やってほしい。親は大抵の場合自分よりも先に死ぬ。でも、長生きすることもある。親が死んでから自分だけの人生を生き始めるのは、もったいない。

「親と仲良くないといけない」「親孝行しなければならない」「育ててもらった恩を返さないといけない」「親の言うことを聞かなければならない」

それは一部では真実かもしれないけれど、絶対的なものではない。できればそうしたほうがいいよね、という程度のもの。毒親なんて言葉が流行っているけれど、親がこうした方がいいと言うことは必ずしも自分の人生のためになる選択とは限らない。ちなみに私は就職の時も、3年で新卒で入った会社をやめた時も親に泣かれたが、その選択を全く後悔していないしベンチャーを選んだことでとても力がついた。

「自分の人生は自分で決める」

そのほうが絶対にいい。親にあなたを不幸でいさせ続ける権利はない。自分で自分を幸せにする選択をしていこう。

 

2、稼げる力はつけておこう

絶対に、自分一人で自分を食わせられるだけの力はつけておいたほうがいいと思います。親に養ってもらっている状態では、万一勘当でもされた時に生きていくことができない。そういう状態では、言いたいことも言えなくて当然だ。そして、自分で自分を養えるという自信は、自分の意見を言う自信や自分の人生を肯定する自信につながる。だから、「自分の生き方は自分で決める」と言えるように、そして、それを言った時に家族との関係が切れたとしても生きていけるように、財力はあるに越したことはない。

 

3、因果応報

 因果応報という言葉。これまで私の中にはあまりなかった考え方なのだけど、最近よくそう思うようになった。例えば、私のカミングアウトを拒絶したことで、母は寂しい時に私に連絡ができなくなったかもしれない。そして、老いて弱った時に、サポートしてもらえないかもしれない。すべてはそんなもの。ギブアンドテイク。ギブしてもらえないときは、別にギブする必要はない。辛く当たられた時に、それでも愛情を持って許そうとしなくていい。あなたが辛い思いをさせられたときは、相手もいつか辛い思いをする。そう思うと、ちょっとすっとしない?(笑)

 

時間が解決してくれることもある

まあ、辛辣なことをたくさん書いてきたけれど、時間が解決することもあると思っている。いつか母も理解してくれるかもしれない。和解できる時がくるかも。でも、それは淡い期待として持ちながらも、あんまり働きかけると疲れちゃうので、その時が来るまでは距離をとっておこうと思っている。私は自分の力で自分を幸せにしたいので、不幸の原因に近づいて消耗している暇はない!

そんなわけで、今日も明日も幸せに、パートナーと二人で生きていく。いっぱいいっぱい、幸せになってやる。

キツネさんの転職と、仕事をしていく上で大切なこと

キツネさんがジョブチェンジをした

パートナーであるキツネさんの就職先が決まった。彼女は元々栄養士なのだが、栄養士としての仕事からは一度離れてみようかと思ったらしい。わりと有能なので引きとめられてはいたのだが、有期雇用の前職の契約を更新せず、無職生活に入った。そしてしばらく何もせずダラダラしていた。心配していなかったかというと嘘になる。でも、私が何を言っても聞く人ではないので、求められたら意見は言いつつ放っておいた。

そうしたら失業手当が切れる直前くらいには自分で仕事を決めてきた。しかも、興味があり、かつ、これまでのキャリアと連続性のある「食」に関する業界の営業事務である。大手企業のグループ会社なのでお給料も大幅に上がった。

これってなかなかにすごいことだ。栄養士は中途採用だと契約社員になることが多く、お給料が安い。管理栄養士の資格を取れば少しは仕事の幅が広がるが、それでもやはり一般的な企業の総合職に比べたらずっと生涯年収が低いと思う。それがこれまでのキャリアと連続性はもたせたまま、事務系総合職にジョブチェンジできたのだ。昇給の可能性も、昇進の可能性もあり、今後選べる仕事の幅が大きく広がった。

人生どんなことが起こるかわからない。

 

私と彼女の仕事に関する感覚の違い

ちなみにキツネさんはものすごく「働きたくない」人だ。そして主婦適性が物凄く高い。私は全くの逆で、「仕事大好き」なタイプ。そして主婦適性はあまりない。

例えばキツネさんはご飯を作りながら作るために使った調理器具を片付け、飛び散った油や水をこまめに拭く。ご飯が食べ終わったらすぐに食器を洗う。私が食事を作るときはキッチンがものすごく汚くなる。

一方で、仕事の場面で私は、割と考えてキャリアを積んできたし、転職先を決めてから会社に辞めることを伝えることが多く、仕事をしていない期間がとても短い。しかしキツネさんは毎日「仕事行きたくない〜」の言葉から一日が始まり、仕事を辞めるときはとりあえず辞める。そして貯金残高と失業手当を見ながら無職生活を満喫し、数ヶ月後に仕事を見つけてまた就職する。

そんな違いがあるものの、キツネさんが主婦になって私が働く、という選択肢はこれまで全くなかった。二人とも趣味にお金がかかるので私だけの収入では心許ないし、男女カップルと違って扶養に入れるわけでもなく、リスクが高い。いつ別れてもいいように双方が自立した状態でいたい、という気持ちが私の方に強いこともある。別れる気は全くないんだけど、万が一ということがあるし、死別の可能性だってなくはないのだから、どちらかが依存的な状態になることは避けるほうがいいと思っている。お互いに別れたいときに別れられるほうがいいし、死別してもキツネさんが困らないようにしたいのだ。

 

キャリアの積み方で大切なこと

そんな、仕事やキャリアについての態度が全く違うキツネさんを見ていて、キャリアの積み方でこういうことって大事だよな、と思ったことをまとめてみたい。

 

①ちょっとずつでもできることを増やす

一つ目は、少しずつ少しずつその職場でしかできないことをやって、「できること」を増やしているということ。キツネさんの考え方を見ていると、「この仕事はできるようになった。だから次の職場ではこういうことができるようになりたい」というのが結構はっきりしている。飲食店での調理ができるようになったから、次は大量調理、次は栄養事務、栄養士としてとりあえずやれることはある程度やったから、次は一般企業の事務職、という風に。こういう風にキャリアを積んでいるとストーリーとして転職の際に語りやすいし、相手も納得しやすいよな〜と実感した。

 

②仕事が嫌いでもいい。だが職についたら全力でやる。

そして、キツネさんのすごいところは仕事が嫌いでもきちんとやるところだ。毎日「仕事行きたくない〜」と言っているがよくよく聞くと、とにかく早く覚えて仕組み化してどんどん楽になるようにしているらしい。仕事好きじゃないしとにかく早く帰りたいから、という理由で。そして、「何年で辞める」と決めていることも多いので業務をやりながら引継書を作ったりもしているらしい。

私とはモチベーションの持ち方が真逆だけれどやっていることは結構ちゃんとしていると思う。だからこそ、早く力がつき、転職先にも困らないし、上司に信頼されて辞めるときに必ず引きとめられるのだと思う。仕事が嫌いでも、働きたくなくてもいい。それでも、任された仕事は早く覚える、きっちりやる、ということが大事なのだ。

 

 

③お金は貯めておくのに越したことはない

キツネさんは薄給の栄養士時代もきちんと貯金をしていた。彼女が一番お給料が少なかったときに倍くらい稼いでいた私はというと、全く貯金ができなくて、家を買うための初期費用を彼女に借りた。そして私が家を買うための初期費用を借りてもなお、まだ彼女には蓄えがあった。だからこそ、仕事を辞めても失業保険をもらいながら、ふつうに生活ができている。信じられない。アンビリーバボー。私のキャリアにほとんど切れ目がない理由の一つは、貯金がないから、ということもある。なので、お金は貯めておくのに越したことはないと本当に思う。お金があれば、急いで仕事を決めなくていい。じっくり自分はどんなキャリアを歩みたいのか考えることができ、焦って変な会社にはいってしまうこともなく、余裕をもって職探しができる。

私のような貯められない派の人は、会社の財形貯蓄、持株会、貯蓄型の保険商品(個人年金とか)、投資信託などを使って頑張って貯金しましょう。私は本当に貯金という面ではクズなので、例えば定期預金とか自動引き落としされるタイプの貯金用口座とかを作ってみたこともあったのだけど、お金が必要になるたびにすぐ解約してました。自分でお金を触れるようになるためのハードルは高ければ高いほどいい。なので、財形貯蓄、持株会、貯蓄型の保険商品、投資信託がおすすめ。 

はじめての人のための3000円投資生活

はじめての人のための3000円投資生活

 

 

意外とハロワって使えるらしい

そして、キツネさんの転職活動をみていて意外にいいなと思ったのが、ハローワークを活用すること。私は人材紹介会社を使うか直接応募をするか、Wantedlyみたいな媒体を使うか、しかやったことがなく、ハローワークで職業紹介を受けたことがなかった。でも、彼女はハロワで結構いい求人をもらってきていた。今回決まった食品会社もまあまあの規模でお給料も事務職にしてはいいほうだったし、そのほかの求人も、小さい会社で多分ほかの媒体では求人を出していなそうなのだけどかなりのホワイト企業、みたいなところがいくつかあった。

ハロワの人も、結構親身に仕事を探してくれたし、進捗中ずっと同じ担当の人が寄り添って何度も会ってくれて、面接対策もしてくれていたようだった。人材紹介の会社って、大体が初回登録時の面談のみで、その後は電話のやりとりになる。「寄り添ってくれる感」を求めるなら、ハロワも活用してみてもいいかも。営利企業かどうかの違いが仕組みに影響しているということもあるし、そこで働く人も「人材紹介会社で仕事しててもっと人に寄り添いたくなった」とか「キャリコンの資格をとってお給料は安くてもキャリアに悩んでいる人の役に立ちたい」という動機の人が多いからかな、と推測できる。

 

辞めても死なないし、自分で自分を活かせる場所を選んでいこう

そんなキツネさんの転職活動。なんとかうまくいってよかった〜。本当によかった。

仕事やキャリアに関する考え方が全く違う私たちだけど、共通するところもある。「辞めても死なない」という考え方だ。

二人とも、転職回数は多い方だと思う。その経験から、辞めても雇ってくれるところは必ずあると知っている。今目の前にある仕事をきちんとやっていれば、必ずその人なりの強みはできているし、スキルだってついているはず。だから、いろんな人の仕事に関する愚痴を聞いたりしていると「辞めちゃえばいいのに」と私たちは結構簡単に言う。辞めても死なないし。むしろ、いる場所によっては「そこにい続ける」ことでむしろ死に繋がる危険性がある場所もある。私も、前職の仕事で追い詰められすぎて、最寄駅で線路を見つめて動けなくなっちゃったことがきっかけで辞めることにした。でも、勇気を持って前から気になっていた会社にアタックしてみたら内定もらえて、今はとても元気に仕事をしている。(ちなみに前職も、終わり方は散々だったけど家のローンを組めるくらいのお金をくれて、どんどん仕事も任せてくれていたのでそこを選んで失敗だったとは全く思っていない。)

転職はガチャみたいなもので、入ってみないとわからないところはあるけれど、いいカードを引く確率を高めることはできる。それは、普段の仕事を頑張ることでもあるし、ブラックではない求人を見極めることでもり、転職先の会社に対して「自分が一番よく見える見せ方」を考えることでもある。今の仕事を普通に頑張ってたら、あとは専門家の力も借りながら、情報収集しながら進めれば、結構いい転職ができる。

だから、迷っている人がいたら、まずはエージェントに登録するなり、ハロワに行ってみるなり、有料のキャリコンさんに申し込んでみるなり、行動してみましょう!きっと大丈夫!もっといい居場所があるかもしれないから、勇気を持って自分で自分を活かせる場所を選んでいこう。

皆さん、よい職業人生を!

 

※過去のキツネさん関連の記事↓

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年明けから家族のことで悩まなくなってきた

なぜか年が明けてから、家族のことで憎しみや悲しみをあんまり感じなくなってきた。この前ブログでぐっちゃぐちゃな気持ちを全部吐き出したからかな。

この歳になってこんなことを言うのはこっぱずかしいけど、もしかしたらわたしがずっと消化できなかったことって、「条件付きの愛じゃなくて無条件に愛してよ!!」ってことだったのかも、と思った。でも、その気持ちを正直にブログでぶちまけられて、本当に諦めがついた気がする。

そして、年末年始の過ごし方を工夫したことも大きい。毎年年末年始は、29日か30日に実家に帰って、餅つきと掃除を少し手伝って、大晦日を実家で過ごし、年始も3日までいる、というスタイルだった。2年前に年末に観劇したとき以外はずっとそのスタイル。それを、今年は年末はキツネさんと過ごして、年始に3日間だけ帰ることにした。

年末はとても充実した、よい年末を過ごせた。美味しいお店も開拓できた。年始実家に帰る時、電話すると母の声は予想外に明るかった。11月に帰ったときは電話に出てわたしからの電話だと気づいた途端に声が冷え冷えとして、丁寧語になったのに。たぶん、弟夫婦と甥っ子たちがいたせいだ。うちの母は見栄っ張りなので、仕事の都合で滅多に実家に帰らない弟がいる時や、お嫁さんがいるときは「いい人」を演じがちだ。

カミングアウトの時に置いていったカミングアウトに関する本やLGBTの家族と友人をつなぐの会のパンフレットがわたしの部屋に返却されていたのを見て、その瞬間は怒りが沸騰したけど。死ね、って思ったけど。

でも、そのこともすぐに思い出さなくなった。悲しかったり怒ったりしたのは、せいぜい半日くらいのものだった。

人質ならぬ「猫質」にとられている実家の猫にも会った。わたしにしか懐かなかった猫は弟夫婦にもなついてうまくやっているようだった。久しぶりに会ったら老いを感じたけれど。彼女が亡くなるまで、1ヶ月か2ヶ月に1回くらいは、1泊の短い時間で実家に帰るようにしようと思った。縁をすっぱり切ることを考えた時期もあったけど、矢張り彼女には最後まで会いたい。

あの頑なな母が、理解してくれるとは思わない。わたしのカミングアウトそのものを、わたしの実家の部屋に封印して、母はなにもなかったかのように生きるんだろう。わたしは、そこからは少し距離を置いて、自分の人生を生きる。キツネさんとウエディングフォトを撮ったりする。実家には見せずに。公正証書や遺言状をつくる。キツネさんがわたしが病気になったり死んだ時に困らないように。そして母より長生きする。絶対に長生きする。母より先に死んだらキツネさんが困った状況に陥るかもしれないから。

またなにかのタイミングで嫌なことを言われて泣いたりするかもしれないけど、少なくとも今は、東京での家があってキツネさんがいて、支えてくれる友達や知り合いがいて、自分を食わせていけるくらいの仕事もあるから、きっと大丈夫、と思えている。

2018年秋、カミングアウト

実家の家族にカミングアウトしました

今年の秋、親に自分が同性と長年つきあっていることをカミングアウトしました。
母親のほうが、なかなかの全否定ぶりで、嫌なことはすぐに吐き出して忘れるタイプのわたしも流石に消化できなくてここまでブログにもできませんでした。未だに実家との距離の取り方は探り探りですし、時々思い出してはしんどい思いをしていますが、少し落ち着いてきたので、年末最後に出来事と気持ちをまとめておきたいと思います。

 

引っ越したら言おうと思っていた

キツネさんとは、つきあい始めて昨年で十周年を迎えたので、そろそろカミングアウトしようかなということはその頃から考えていました。するなら引っ越しのタイミングで、と思っていました。うちの母親、前にもいろいろブログで書きましたがけっこう感情的なタイプなので…。最悪の場合、包丁を持ち出されたり家に来てキツネさんに害を及ぼしたりしかねない、と思っていたので引っ越し後に住所を教えていない状態でカミングアウトするつもりでした。家を買ってしまったのでもうしばらく引越しの機会もないだろうということで、引っ越し後しばらくしてから言うことにしました。

 

カミングアウトは手紙で。

カミングアウトをすることにした日、絶対泣いてしゃべれなくなるだろうと思っていたので、手紙に自分の気持ちを書いていきました。
ここまで育ててくれたことの感謝、自分が同性パートナーと暮らしていること、これからもそうしていきたいと思っていること……そんなことを書いて。たしか五枚くらいのとても長い手紙になったと思います。
さすがにわたしがバイセクシャルで男性でも好きになれる、ということまでは書きませんでした。そういうこと書くと多分、期待させてしまうので。まあ実際は女の子としか付き合ったことないのでほぼビアンみたいなもんですし、これからもキツネさんと別れる気は全くないので間違ってはいない。
手紙に書いたものの、ぜんぜん言い出せなくて、夜、みんなが寝る直前のカミングアウトになってしまいました。
「ちょっと話があるんだけど」と切り出した途端、父が「なんだ、結婚でもするのか」と言ってきて、このやろう~~~と思ったりもしました。あのとぼけたところが父のいいところなんですけどね。手紙を取り出した段階でもう泣きそうでした。

 

家族の反応

両親と、弟のお嫁さんがいる場でのカミングアウトになりました。
手紙を読みはじめてわたしが同性を好きになる人だということを伝えてすぐ、涙で口ごもってしまったとき、父はすぐに「好きにしたらいい、お前の人生なんだから」と言いました。父はそわそわして、はやく寝室に戻りたそうでした。そして実際にすぐに寝室に行ってしまいました。逃げた、と思いました。
いいひとなんですよ。とても。表面的には、ですが。世間的なものごとの動きもよく見ているひとで、私みたいなありかたを否定してはいけないっていうことをよく知っていたんだと思います。
でも、めんどうなことからは目をそらすタイプ。泣いている私や、これから荒れるであろう母を置いて寝室に引きこもれるんですから。これまでずっとそうだった。でも、たぶんこれから続いていく日常の中で母の感情を受け止めてくれるひとは彼だけなので、聞いてくれて、否定しなかっただけでもありがたい、と思いました。
弟のお嫁さんは、手紙を読みおわるとすぐに隣に来てくれて、一緒に泣きながら、ずっとそばにいてくれました。言ってくれてありがとう、と言って。知り合いに、LGBTの人がいるんだそうです。ほんとうに優しい子で、彼女がいてくれたから救われました。あとから弟にも彼女から伝えてもらったのですが、弟からも、俺はずっと姉ちゃんの味方だというLINEが来ました。本当にうれしかった。
母は、カミングアウトが終わっても、うつむいてじっと黙っていました。わたしから、話題をふるまで。

 

母から言われたこと

「お母さんはどう思う?」と聞いたところ、母は「そうなんじゃないかと思ってた」と静かに言いました。何年か前からそうなんじゃないかと思って、お友達と「スイちゃん、ここまで彼氏できないってことは、なんかあるよね」って話していたようです。
わたしも、多分気付いているんだろうなとは思っていました。前に「男が好きじゃないの?」と聞かれて「だったらどうするの?」と聞き返したら「気持ち悪ーい!病院行った方がいいよ!」と冗談めかして言われたことがあったので。
カミングアウトの一番楽観的なシナリオは、彼女が、わたしの性的指向に気付いていて、その上で何年かの間に消化できていて「知ってたよ、今更驚かない」と言ってくれて、多少の偏見はありながらもこれまでの関係性を続けられるということでした。
でも、そうはなりませんでした。
話を聞いていくにつれて、こんなことを言われました。

 

「一生懸命、いいところを伸ばすように育ててきたのに、なんで普通に育たなかったんだろう」
「相続権は放棄してほしい」
「言った方はスッキリするだろうけど自分勝手だ」
「その人(キツネさん)のことは認めないし会いたくない」
「今は役所に自分たちを認めてもらうみたいな制度もあるみたいだけど絶対に使ってほしくない。だって役所の人にはあなたたちの関係がわかっちゃうでしょ」

 

まあ、始終そんな感じ。わたしのことを普通じゃない、恥ずかしいと思ってることがばしばし伝わってきました。それでグチグチと、過去に自分がいかに苦労しながらあなたを育ててきたのか、ということを言い聞かされました。最終的には自分の苦労話になっていました。それで「ここまで不自由なく育ててくれたことには本当に感謝してる」と真摯に伝えようとしても「ごめん、今はそれ、言葉の上で言ってるだけにしか聞こえない」と拒絶されて。しかも、容姿とか性格とかこれまで選んできた職業のこととかもいろいろ言われて。

そのときに書いたツイート↓

「男性と付き合う努力はしてみたの?」と聞かれて逐一否定したり、「あーあ、○○ちゃんとあなたの結婚式になに着てくか相談してたんだけどなー」と嫌味を言われたりもしました。それで、我慢ならなくなって「え、これ私いつまで聞いてたらいいの?」と言うと「え、駄目?言わせてよ」とそんなときばかりかわいこぶる母。なんなんだ。後からこういう話をしたらキツネさんが「子供はサンドバックじゃないんだからさ」と怒ってくれました。その日はサンドバックになることは覚悟してたし、今私がどんなふうに反論しても聞こえないだろうと思っていたからじっと聞きましたが、やっぱりつらかったな…。
LGBTの家族が集うような場所のパンフレットも用意していきましたが受け取りすらしませんでした。「わたしはあなたがそうだって、誰にも言いたくない」と。せいいっぱいの気遣いのつもりだったんですけどね。悩んでいてもそれを誰にも言わないって、苦しいから。今すぐには無理でも、必要になったときに使ってもらえるように、そのパンフレットはそっと置いてきました。(大学生の時に一度だけ参加した集まりの時にもらったものを大切にこのときまでとっておいたのです。あとから、結構パンフレット変わってるから、と更新版を知り合いからいただいて苦笑しました。そりゃあそうだよね、七年も経ってたら。)

 

理解したい、関わり続けたい、でもつらい

親も、混乱していたと思うんですよ。以前からなんとなく気付いていたとはいえ、はっきり言われるのとは違うんだと思います。だから、いつかわかってくれるかもしれないと、関わり続けるしかないんだ、と思いました。
でも、カミングアウトしたあとに帰宅して、数日後に母からメールがきて。
「自分は話してスッキリしたかもしれないけど自己満足にしか思えない。あなたのお友達にも会いたくない。お友達にもうちの家族のことは口止めしてください」って。どこかで誰かに、わたしたちのことが伝わってしまうことを過剰に恐れていて。まるで母はわたしのことを敵や害悪だと思っていて、自分はそれから自分の家族を守ってるんだ、というような感じでした。ああ、おかしい。
「わかったよ、無理にあってほしいとは思ってない」と伝えつつ、「お友達、ではなく、パートナーです」と訂正してみたりもしたけど全く通じなかった。自己満足と言われたことについては「わたしだって言うべきかどうか10年悩んできたし死にたいと思ったこともあった」と伝えました。でもそれに対する返事も「それもあなたの勝手でしょ。わたしたちは、あなたは一生独身だと思うことにするから」というものでした。
笑っちゃうほどの完全拒絶。しかも自分の拒絶に「わたしたち」と言うことで勝手に父を巻き込んでる。それに対して「わたしたち、ってそれ父と話したの?」と指摘したら黙りました(笑)
それからというもの、用事があってLINEすることがあっても、全部丁寧語なのも笑えます。今までは絵文字とかいっぱい使って文章書いてきた母が「わかりました」だけのお返事とか。めっちゃ笑える。
関わり続けたらなにかが変わるかも、とも思うし、時間をかけて理解してくれれば…とも思う。そして、傷ついていて私のことを理解できない母のことも理解したいと思う。話を聞いてあげたいと思う。でも、それによって私が傷つけられ続けるのは、やっぱり少し嫌だなと思ったりもして。ぐっちゃぐちゃな気持ちです。

 

愛って何だろう

愛って、なんなんでしょうね。
私の母の愛は、条件付きの愛です。「相続権は放棄してほしい」って、つまりそういうことですよね。「私の理想を体現するような娘でないならばあなたは私の娘ではない」ってこと。「いい子にしてなきゃお菓子をあげないよ」ってこと。

今回カミングアウトして、そのことを嫌になるくらい実感してしまいました。ああ結局母は本当の私じゃなくて「理想の私」を見ていたんだなって。理想の娘を演じすぎた。大学生くらいから、それをやめてきたつもりだったんですけど、まだ足りなかったみたい。

かなしい。つらい。
カミングアウトして「あなたはあなた」って言ってもらえる人たちも大勢いるのに、なんでうちの母はそうじゃないんだろう。わたしは母に「あなたは親の気持ちなんてわからない」と言われて、でもずっとわかろうとしてきたのに。
母がいろんな親族間のトラブルや仕事でのトラブルに巻き込まれて苦しそうなとき、わたしはいつも話を聞いて、寄り添おうとしてきたのに。父や親族に母にかわって立ち向かったこともあったのに。なぜあなたはわたしのことをわかろうとしてくれないんですか、お母さん。昔はそうじゃなかったはずなのに。くるくるの天然パーマの子供のころのわたしを、そのままで愛してくれていたはずなのに。どうしてこうなっちゃったんだろう。

わたしのことを母は冷たい女だと言ったことがあったけれど、わたしは逆だと思う。カミングアウトしたあと、その場でもその後のメールでも、全部全部、母から出てきた言葉は自分を守る言葉、自分をかわいそうだと訴える言葉、そんなものばっかりで。「死にたいと思ったこともあった」ってうちあけたときに、「そんなことされたら私一生悩んじゃうな」って言ってきたときは本当にびっくりした。どんな風に考えて、追い詰められて、そう思ったのか聞いてほしかった。驚いてほしかった。そんな風に悩んでたなんて知らなかった、って言ってほしかった。だって、わたしが自分の性的指向に悩んで死にたいと思ってた時って、もう結婚できないし親の理想に添えないっていうことを考えて思い詰めすぎていたときだった。
なのに、母は、自分のことばっかり。ぜんぶ、自分の悩みや苦しみのことばっかり。しかも、わたしのことを全否定するくせに、「普通に帰ってくればいい」と言うのも、よくわからない。否定はするけど寂しいってこと?そんなの、都合がよすぎる。実家にはかわいがっている猫がいるのですが、その子には会いに来てほしい、悪いけどあなたにはその子に対する気持ちがどの程度あるのか感じられない、と言われたんですよね。そうまで言われたら帰らないわけにもいかないのがつらい。

 

これからの実家との関わり方

今回言われたいろんな酷い言葉が、売り言葉に買い言葉的な、その場で混乱の中で出てきてしまった言葉だと思いたい気持ちもありますし、実際にそう思う日もあります。でも、もうそういう人なんだって諦めて距離をおく方が楽かもしれないという気持ちもあります。なにも両親のことを考えずに楽しく過ごせる日もありますが、憎しみに近い気持ちがわくこともあります。悲しくなる日もあります。
親に対して、早く死んでほしいなんて罰当たりなことを、真面目に思う日が来ると思わなかった。そんな自分を責める日もあります。もし両親が老いて介護状態にでもなったら、お金の支援はたくさんしたいけれど、あまり自分で世話をしようとは思いません。
理解してくれる弟夫婦とは仲良くしていたいし甥っ子が困ったりしたら支援もしたい。でも、「いずれお世話になるんだから弟とは仲良くしておけ」という母の言葉を思い出してすごく嫌な気持ちになって、すべて縁を切ってどこか知らない土地で暮らしたいと思ったりもします。
この前カミングアウト後数ヶ月後に実家に帰りましたが、その時はすこしぎくしゃくしたものの、わたしのことは話題に出さず、「仮面家族」として過ごしました。これでいいのかもしれません。わたしが両親より早く死ななければ、なにごとも起こらないはず。年末年始の休暇はこれまでほとんど一週間を実家で過ごしていましたが、今年はキツネさんと大晦日まで過ごすことにして、こうして日記を書いています。心は少し平和です。人質ならぬ猫質を取られている間は定期的に実家にも帰りますが、頻度も帰る日数も減らして自分の心を守っていこうと思っています。これも自分勝手なのかもしれませんが…。もうよくわかんないや。放棄。どうせ縁は切れないのだから適当にやっていくことにしようと思います。

 

友達とフォロワーさんの優しさ

カミングアウトをしてよかったと思ったこともあります。理解してくれる人もいっぱいいると知ったことです。弟夫婦のもそうですし、キツネさんも、何人もの友人も、話を聞いて慰めてくれて、「もう私たちがいるんだからいいじゃん。親が理解してくれなくてもさ」と言ってくれました。何人もの、趣味で繋がっているフォロワーさんが長文のDMをくださって、こんなわたしのことを尊敬している、好きだと言ってくれて、励ましてくれました。あまり喋ったことのないフォロワーさんも、心配してリプをくれました。あたたかすぎて、いちいち泣きました。
だから、母に対してどろどろした気持ちを持っていても、なんとか生きていけます。生んでくれて育ててくれた恩はもちろんあるけれど、だからって、母のために苦しみ過ぎなくてもいいんだ、と思えます。わたしも母も、親と子という関係性ではありますが、一人一人の個人なんだということや、わたしの幸せになる権利のことを思い出させてくれます。本当にありがとうございました。
きっと、時間が経てばわたしの心も母の心も、互いの関係性も変わっていくだろうと思います。しばらくは思い出してつらくなったりもすると思いますが、あんまり考えないようになりたいです。

とりあえず、2018年の年末思っていることは、こんな感じ。このぐっちゃぐちゃな心の内を読んでくださって、ありがとうございました。わたしはわたしらしく、来年も生きていきます。絶対に幸せになってやる。キツネさんとわたしの二人きりでも、絶対に、幸せになる。

 

きのう何食べた?(14) (モーニング KC)

きのう何食べた?(14) (モーニング KC)

 

(いつか、きのう何食べた?のしろさんの実家のように、受け入れられるなんてこともあるんだろうか…)

 

LGBTのBが家を買った体験記③

やっと再開

家買ったら親にカミングアウトしようと思っていて、秋口にそれを実行したんですけど、まあ結果が芳しくなくて。そのせいで家買ったよブログを書く心の余裕が失われてしばらく現実逃避しておりました。でも少し元気になってきたので再開したいと思います。(カミングアウトの件はまた別途書きます。)その間に結構記憶が失われてしまっているので手帳のメモを見返しながらざっくりと書いていきます。

 

前の記事はこちらからどうぞ!

 

家を買う直前期

 直前期にはこんなことがありました。

  1. ローンの本審査
  2. 火災保険の申込み
  3. その他住宅設備関係
  4. 市役所への必要資料提出(中古物件のみ)
  5. 登記の取得
  6. ローン実行

 ローンの本審査は、「仮審査が通っていたら落ちることはほとんどない」と聞いていたものの緊張しました…。通らなかったらどうしようって…。でも、なんとかOKの連絡が来てほっとしました。

その後が結構怒涛で、家の引渡し前3週間くらいの間で何度も不動産屋さんや火災保険屋さんと会いつつ電話しつつ、2~5をこなしていきました。この時期は仕事も手続き関係も忙しすぎたので記憶が結構飛んでます。

手帳によるとローン実行の前後3週間くらいで3日くらい、午前休やら有休やらつかって家関係のことをやっています。手続き関係も不動産屋さんとの連絡も彼女に頼むわけにもいかずけっこうきつかったです。これは同性パートナーで家買う時のデメリットかもしれません。名義人になるほうの事務手続きの負担が結構大きい…。その分パートナーには引っ越し準備と家の中のこと(買うものとか物の整理とか)は任せていましたがそれでもなかなか…。

しかも、ただでさえ忙しいのに、不動産屋さんに「今後のスケジュールを教えてください」って何回も頼んでたのにいろいろと漏れがあって、直前になって「これとこれとこれの手続きなんですけど銀行さんの都合で平日午前じゃないとできません」とか「この書類書いてもらわないといけないの忘れてたんですけど今日の夜自宅に伺ってもいいですか」とか言われて激おこでした。本当に仕事のできないお兄さんだったなー。感じはいいんだけどなー。こっちから進捗確認しないと状況教えてくれないし。ただでさえ不安だし休むための仕事のやりくりでストレスがかかっているのに、こういうことで気持ちが振り回されるのが一番きつかったかもしれません。

そして火災保険。これが一番バタバタしました。家を買うことを決めてから引き渡しまでの期間が3か月くらいあったので、実はすっかり手続きを忘れていたのですよ…。引っ越し一週間前くらいに「あ!!火災保険の申込み忘れてた!!!」と気づいて、急いで火災保険屋さんに連絡を取ってローン実行日の前日に申し込みました…。気づいてよかったです。この時期はやること多すぎて手帳にタスクリストをつくって、ほぼ毎日見ていたのですが、スケジュールに落としていなかったのでいつの間にかやるべき期日がすぎていたのに気付いてなかったんですよね…。

 

ローンの実行

ローンの実行をした日は、午前休をとって朝イチで銀行へ。結構どきどきしました。事前に書類関係は終わらせてしまっていたので、通帳と印鑑を持って行って立ち会うだけなんですけど、ローンの実行ってこうやるんだーって思いました。面白かったです。

売主さん、不動産屋さん、銀行さん、司法書士さんが立ち合って、ローンを実行しました。

ローンの実行って言っても売主さんと私が必要な書類を書いて印鑑押して、通帳を預かられてしばし待つ、というそれだけ。意外とあっけなかったです。でもやっぱりうれしくて、終わってすぐレストランに入ってランチをしながら、パートナーに終わったよ!家買っちゃったどうしよう!!とLINEをしました。それまでの3週間がほんとうにバッタバタだったので、疲れた、というのも正直な感想でした。その後1週間以内に引っ越しもしなければならないことはわかっていましたが、ほっとして、今日くらいはいいよね、とランチを食べながらちょっとゆっくりしたことをよく覚えています。

↑家買って数日後くらいに書いたnote

 

家を買ってから半年

それから半年。引っ越し直後に疲れが出たのか二人で風邪をひいて寝込み、しかしそのときエアコンを取り付けていなくて、記録的猛暑の中死にそうになったりもしました。一番エアコンの高い時期に引っ越したので安くなるまで我慢しよう、と二人で決めていたのですが自殺行為でした。家を買ったらエアコンはどれだけお金がなくともすぐに取り付けるべき。都内の小さな2DKから引っ越したので広い一戸建ての隙間を埋めるべくソファを買ったり、クローゼットの中に入れる棚を買ったり、念願だった自分の机を買ったりもしました。売主さんがテレビのアンテナを立てていなかったのでアンテナを立てようとしたらうまく電波が受信できなくて光テレビに変えたりもしました。もちろん引っ越し代も二人だとけっこうかかるし(めちゃくちゃ値切りましたが)、そんなこんなで結構「家を買う」以外の出費もかさんで、しばらくの間結構家計は苦しかったです。

それなのにある程度家関係の出費が落ち着いてきたぞと思ったら好きな小説家さんの文章講座見つけちゃったり、推してるグループの公演やディナーショーが次々発表されたりと試練のように次々といろんなお金のかかる案件が降りかかってきて……。未だお金ないです。とてもないです。年末の怒涛の推し活楽しかったし行かないという選択肢はなかったんだけれども。

でも、今振り返って、やっぱり勇気を出して家を買ってよかったなーと思っています。

 

家を買ってよかった理由

一つ目の理由は、ローンを払うごとに資産ができていくという実感。借家だと家賃はただただ消えていくお金なんですが、家を買ってからはローンを払うごとにその分だけこの家が自分のものになっていくっていう感じがするんですよね。今どのくらい払ったから、あとこのくらい住んだら売ったときこれだけの利益がでる、とかたまに考えてはほくそえんでます。「絶対」なんてないと思いつつも、あと10年20年たってもそこそこの値段で売れるであろうという物件を買ったこともあって、何か大きなことがあってお金が入り用になっても、まあ最悪家を売ればいいか、という安心感が生まれました。

二つ目の理由は、QOLがものすごく上がったことです。ひろいおうちって、心に余裕をもたらします。これまでは2DKのちょっとひろめのDKに無理やり小さいこたつを置いてぎゅうぎゅうに二人で入っていて、一人がごろんと寝ころぼうものならもう片方も何か作業しようとしていてもやる気なくす、みたいな感じだったわけですよ。われわれ、おたくなので物も多いですしね…。そういう環境にいると鬱屈してきてカフェに出かけて作業することが常態化していました。それが今は、一人がソファで作業していてその時もう一人はヨガマット敷いてストレッチしてる、とか、お互いの部屋でお互いに手帳書いたり創作活動したりしていて、相手の姿は見えないけど声は聞こえるからさみしくない、とか。そういう感じになっていて居心地がいいんですよね。おかげでカフェ代も減りました。心の余裕、ほんとに大事。

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↑机を買って自分で組み立てて、推しのあゆみちゃんコーナーも作りました(笑)

けっこう寒いおうちだし日当たりも超いいわけではないし不便もあります。洗濯物を気持ちよく乾かしたいなら屋上に干さないといけないけど洗濯機から遠いので行きたくない、とか。でも、買った家なのでもう10年単位くらいで、気長に、できることから徐々にやっていって、居心地良くしていけたらいいなと思ってます。春になったら植物を屋上で育て始めたいし屋上用のテーブルもほしい。洗濯乾燥機を導入したいし、いずれは今ものすごく寒い部屋にもエアコンをつけたい。そのうち余裕ができたら壁紙を張り替えたりもしてみたい…。夢が広がります。

でも、実はこの家にずっと住むかどうかはわからないなと思っていたりします。つくりがあんまり高齢者向きではないので。

そして、私が唐突に死んでもパートナーが困らないように、なんらかの手続きはしておかないといけないなとも思っています。こういうところは、男女カップルと違って不便で不平等なところです。変わっていってほしい…。

でも、いったんは二人の家を手に入れられたことにほっとしていますし、これからの「持ち家ライフ」も楽しみたいな!という気持ちです。