七転び八起き

ハロプロと、恋人のキツネさんとの同性同士の同棲生活。

差別に慣れるな。気づけ、戦え。

ここ1ヶ月くらい、「ああ、私はよくない状態に慣らされていたんだな」ということに気づくことがたびたびあった。比較的いつも社会に怒っていて戦っているはずの自分でもそうなのか、と驚いた。

 

例えば、同性婚訴訟。札幌で、「同性婚を認めないのは違憲」という初めての判決が出た。とても、嬉しかった。Twitterを見ていたらTLにいた仲間みんなが泣いていた。私も泣いた。こんなふうに、涙が出るとは思わなかった。

だって、違憲判決が出たからってすぐに結婚できるわけではない。他の地域の同性婚訴訟の結果がどうなるかもわからない。実際に法律になるには相当の時間がかかるだろう。あらゆる制度は「男と女」の夫婦と子供という家族を前提に作られている。一つ一つ変えていかなければならない。それだけでも時間がかかるだろうに、反対派する人もいる。しかも、国会の最大派閥が、反対している。そりゃあもう、時間がかかるだろう。

現実にそうわかっていても、思わず泣いてしまったのは、「あなたたちは間違っていない。間違っているのは制度の方だ」と、言ってもらった気がしたからだ。別に認めてくれなくていいし理解なんていらないから不利益を被る制度を改めてくれよってずっと思っていた。私たちの関係性は全ての人に受け入れられるものではないと、思い込んでしまっていた。でも、本当は、認めてほしかった。共感してほしかった。祝福されたかった。そんな気持ちを持っていたことに、ようやく気づいた。

 

 

もうひとつ、似た出来事があった。私は昨年の秋以来自分の住んでいる自治体にパートナーシップ制度を入れるための活動をしている。その過程で、こんな言葉を聞いた。

「婚姻制度は標準的な家族のためにある」

その発言をしたひとは、LGBTsへの理解を深め寄り添うことは必要だ、でも、という文脈でこれを言った。つまり、理解は示すけれど結婚に類する制度は必要ないのではないか、と。

うわあ、と思ったけれど私はその時、思ったより酷いことは言われなかったな、と思ったのだ。あまりLGBTsへの理解があるタイプの方ではないことを知っていたから、もっと酷いことを言われるかも、と身構えていた。だから、あの人でも理解は示さざるを得ないくらいに世の中が変わってきたのだなと感慨に耽りさえした。

でも、自宅に帰ってからじわじわと、酷いことを言われたんだって気づいて、悲しい気持ちになった。「標準」って、なんだ。その人も、言いにくそうに口ごもりながら言っていたけれど。つまり、私たちが傷つくかもとか、世の中的には言ってはいけないんだろうなと思っていたのだろう。それでも、そう言った。

自分は「標準」だって思っているんだろうな、無邪気に。自分の子供や大事な人が「標準」にはまれない人であるかもしれないのに。そうなった時にその人は、仕方ない、自助努力でなんとかしろって言うんだろうか。「標準」から外れる瞬間って意外とたくさんある。働けなくなるほどの大きな病気をしたとか、車にひかれたとか、思いがけず事故を起こしてしまって自分が加害者になってしまったとか、急に家族が介護状態になったとか、離婚することになってまだ幼い子供を一人で育てなければならなくなったとか。そうなった時に初めて「標準」でない人のつらさや苦労を知る。きっと、自分がマイノリティだと感じる瞬間が今までの人生でなかったんだろうな、あの人は。羨ましい。

 

でもここで言いたかったのはそれを言った人への恨み節ではなくて。全く私が無感覚になっていて、聞いた瞬間反応できなかったっていうことだ。まあそういうこと、言いますよねーはいはい。テンプレすぎて笑えるわ。べつに傷つかないし。まあでもエクスキューズつけながら言いにくそうに言うってことは形だけだとしても理解し始めているんだろうな、まあ許してやるわって。そんな感じだった。実際その瞬間心の動きはすっごく鈍くて。悲しいもつらいも、全く感じなかった。

 

感情的になることが、すべていいこととは思わない。戦略的に黙ったり許したりすることは、ある。でも、慣れてしまうことは、怖いことだと思う。慣れて、仕方ないことだから自衛しよう、自分たちのできる範囲で対策して、まあ幸せで、声上げなくても行動しなくてもそんなに不自由しないからいっか、って思ってしまうのが怖い。そうやって足を止めてしまったら、他の大勢の動けないほど傷ついている人や、次の世代の人が、困る。戦える人が戦った方がいい。でも、戦うために感情を鈍麻させたら元も子もない。いつか、そんなのいちいち傷ついてたらキリないよって、今まさに辛い人に言ってしまいそうで怖い。

 

すべての感情を、大事にしたい。差別に慣らされて諦めてしまわないように、気をつけたい。戦うために。そして傷ついた誰かに優しくするために。